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拓跋綽(たくばつ しゃく、拼音:Tuòbá Chuò、? - 293年、在位:287年 - 293年)は、鮮卑拓跋部の大人(たいじん:部族長)で、始祖拓跋力微の子、拓跋沙漠汗、拓跋悉鹿の弟、拓跋禄官の兄。 == 生涯 == 章帝9年(286年)、兄の章帝(拓跋悉鹿)が死ぬと、拓跋綽が後を継いで大人となった。雄武で智略あり、威徳を複数挙げる。 平帝7年(293年)、匈奴の宇文部大人莫槐がその配下に殺され、莫槐の弟の普撥が大人として立つと、拓跋綽は普撥の子の丘不勤に娘を嫁がせた。拓跋綽はその年に死す。拓跋部を7年間統治した。拓跋綽の後は、拓跋沙漠汗の子の思帝(拓跋弗)が継いで大人となった。 のちに、北魏の道武帝により、平皇帝と追尊される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「拓跋綽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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