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持丸 博(もちまる ひろし、1943年(昭和18年) - 2013年(平成25年)9月24日)は茨城県水戸市出身の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった〔「三、さむらい『三島由紀夫』と『楯の会』」()〕〔「25 会のお披露目――どう感じられました」()〕。 == 経歴 == === 水戸学派 === 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ〔「第一章 曙」()〕。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した〔筆者紹介〕〔「日誌二」()〕。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた〔。日学同結成の仲間には、早稲田大学院生の矢野潤、早大教育学部の宮崎正弘、斉藤英俊、森田必勝、早大政経学部の山本之聞、伊藤好雄などがいた〔「第一章 名物学生」()〕〔〔。 同じ平泉澄学派の門下生で「青々塾」で知り合った明治学院大学卒の中辻和彦と万代潔が1967年(昭和42年)1月に創刊した民族派のオピニオン月刊誌『論争ジャーナル』の編集員も兼任し、自らも「高山義彦」という筆名で評論・批評を執筆していた持丸は、万代らを通じて三島由紀夫を訪問し、『日本学生新聞』創刊号に寄稿依頼した〔「一、幼子のような三島由紀夫」()〕〔「第三章 『弱者天国』の時代に抗して」()〕〔「七、松浦博(旧姓持丸)――松浦芳子 対談」()〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「持丸博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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