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持明院 家行(じみょういん いえゆき)は鎌倉時代前期の公卿。非参議・持明院基宗の次男。 == 経歴 == 養和元年11月(1182年1月)従五位下に叙爵し、文治2年12月(1187年1月)備後守に任ぜられる。この頃、兄・基能が早世し嫡男となり、建久4年(1193年)淡路守を務める。 建久6年(1195年)従五位上に叙せられる。建久7年(1196年)備後守、正治元年(1199年)には紀伊守に遷任。正治2年(1200年)侍従に任ぜられ、同年の春日祭の饗においては前駈を務めた〔『猪隈関白記』正治2年正月10日条〕。建仁4年(1204年)正五位下に叙せられる。元久2年(1205年)左近衛少将を務め、名を家能から家行に改めている。元久3年(1206年)従四位下に昇叙。承元5年(1211年)従四位上・左近衛中将に叙任され、建保2年(1214年)正四位下に進む。 建保6年(1218年)従三位に叙せられ公卿に列し、承久3年12月(1222年1月)参議に任ぜられる。承久4年(1222年)正三位・備後権守に叙任され、左衛門督・検非違使別当を兼帯。嘉禄元年(1255年)権中納言となる。 しかし、同年より腫物に悩まされ、左衛門督・検非違使別当を辞する。数箇月後には権中納言も辞退し、翌嘉禄2年(1226年)2月13日に出家、2日後の15日に52歳にして薨去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「持明院家行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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