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『掌の小説』(たなごころのしょうせつ)は、川端康成の掌編小説集。「てのひらのしょうせつ」とルビが付されている場合もある。川端が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集で、1971年(昭和46年)3月15日に新潮文庫より刊行された。1話の長さは、短いもので2ページ程度、長いものでも10ページに満たない掌編小説が111編収録され、のち1989年(平成元年)改版から11編追加されて122編収録となった。なお川端の掌編小説の全総数は128編ほどになると言われている〔小松原千里「川端康成『掌の小説』から」(神戸大学近代発行会、1991年)〕。翻訳版もレーン・ダンロップとJ・マーティン・ホルマン訳(英題:“Palm-of-the-Hand Stories”)をはじめ各国で行われている。 == 川端の掌編小説 == 初期の頃の35編は1926年(大正15年)6月15日に金星堂より刊行の処女作品集『感情装飾』に初収録された〔川端康成「あとがき」(『川端康成全集第11巻』)(新潮社、1950年)。『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』(新潮社、1970年)所収。〕〔「著書目録」(『川端康成全集第35巻 雑纂2』)(新潮社、1983年)〕。その後の1930年(昭和5年)4月7日に新潮社より刊行の『僕の標本室』には、新作を加えた47編が収録され、1938年(昭和13年)7月19日に改造社より刊行の『川端康成選集第1巻』には77編が収録された〔〔。 これらの掌編小説群に関して、川端は1938年(昭和13年)時点の選集では、以下のように語っている〔川端康成「あとがき」(『川端康成選集第1巻』)(改造社、1938年)〕。 しかし12年後に出された全集ではこの評価を覆し、「それらの標本の多くを私は今好まない」、「私の歩みは間違つてゐたやうに思はれる」と自己嫌悪を述べている〔。 この点に関して吉村貞司は、作家が過去の自作に対し、世の賞讃に背いて自己嫌悪や過去の幼さを恥じることもあるだろうが、この『掌の小説』の中には川端のあらゆる要素が含まれるとし〔吉村貞司「解説」(文庫版『掌の小説』)(新潮文庫、1971年。改版1989年、2011年)〕、「複雑な反射の作り出す目もあやな光のシンファオニイ」に喩えられるような、「作者としてのよろこびも、悲しみも、悩みも、嫌悪も反射する」多彩さがあるとしている〔。 大正末期には掌編小説が流行し、岡田三郎や武野藤介なども書いていたが永続せず、ひとり川端のみが、「洗練された技法を必要とするこの形式によって、奇術師とよばれるほどの才能の花」を開かせたとされ〔、島木健作からは、「心が洗はれるやうな清々しさのなかに、美しく懐かしく喜ばしく悲しい人生を眼のあたりに感じる」と高く評価されている〔島木健作「川端さん」(『川端康成選集第1巻』第4回月報)(改造社、1938年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「掌の小説」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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