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接骨院(せっこついん)とは、柔道整復師が柔道整復術を行う施術所。整骨院、ほねつぎとも呼ばれる。広く用いられている接骨院、整骨院、ほねつぎ等の柔道整復師法に基づく正式な名称は「柔道整復師施術所」である。 国家資格 柔道整復師 免許取得者が治療にあたる。 WHOは「世界各国の伝統医学と法的地位」レポートにおいて、「Judo Therapist(柔道セラピスト)」と定義している。 == 歴史 == 接骨院の前身について。 アンブロワーズ・パレ〔アンブロワーズ・パレ(1510 - 1590)は、フランス王室公式外科医。戦場医として活躍した。整形外科の元祖とされる。 当時、ヨーロッパでは一言で「医を行う人」と言っても、いくつかタイプがあって、大学でガレノス医学など、伝統や慣習で成り立った医学を学んだ者たち(古い理論ばかりを学び、そうした理論を疑うことや自分たちで新たな発見を付け加えることは許されず、まともな外科治療はほとんど行っていなかった人たち)と、「床屋外科医」と呼ばれる、メスなどを用いて実際に外科的治療も行う人たちがいた。当時、「人の髪を切ることは、ひとの身体に刃物を入れること」として、外科と髪を切ることは同列に考えられ、それら(外科と床屋業)は同一人物によって兼業で行われていたのである。 パレは大学の教育を受けなかった()が(というよりむしろ、そのおかげで、当時の大学での医学教育を受けずに済み、実践的に現場で各治療法の実際の効果を比較できたからこそ)実際に効果のある治療法を選びとることができ、その成果を書物として残したので、整形外科医の元祖と称されることになったのである。 パレの業績で特筆すべき事項は、当時の“医師”がキズを火で赤くなるまで熱した鉄のコテで焼く、という“治療”をしていたのに対して、出血を結紮により止め、軟膏や湿布により治療する方が治りや回復がよかったということを実績で証明し、書籍にしたことである()。 それに対して、当時の大学出の者たち(“医師”たち)は自分たちがなかなか成果をあげられないのに、パレが実績をあげたことを妬み、徒党を組んで、パレの書物の出版を妨害しようとしたり、あげくは(医師でありながら)パレを毒殺しようとする者までいた、と伝えられている。() だが幸いなことに、王にその腕を見込まれ、侍医にもなったパレは王に守られて、現在にその名を残すことができた。()〕が記した外科書『パレ大全』が全世界に広がり、オランダでも翻訳され、日本にも蘭学の1つとして伝わった。オランダ経由で日本に入ってきたパレの書は、日本では楢林鎮山が『紅夷外科宗伝』として翻訳したものや、そこからさらに『整骨書』や二宮彦可の『正骨範』として出版されるに至った。内容は骨折や脱臼の治療方法について解説がなされたものであった。 ちなみに接骨院は整骨院とも呼ばれ、折れた骨や脱臼の整復を行うというように、どちらもこの流れを汲むものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「接骨院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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