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永正地震(えいしょうじしん)は、室町時代後期(戦国時代初期)の永正年間に発生した地震・津波。 永正年間には主な被害地震津波として以下の記録が現存するが、戦乱の時代であったため詳細な記録に乏しく、何れも不明な部分が多い。 何れの地震も津波の記録が存在しているが疑わしく、暴風雨による高潮との見方も有る〔宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年〕〔宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年〕。これらの内、永正7年の遠江、および永正9年の阿波の津波記録には地震記事が見出されず、永正の大津波(えいしょうのおおつなみ)とも呼ばれる。 == 永正7年8月8日の地震 == 永正7年8月8日寅刻(ユリウス暦1510年9月11日4時頃、グレゴリオ暦9月21日)に大地震が発生し、京都では声響と共に強い地震を感じ(『実隆公記』)、摂津では四天王寺の石鳥居、金堂本尊が大破、河内では常光寺、剛琳寺、藤井寺が潰れた。天王寺や藤井寺附近の震度は6程度と推定されている〔宇佐美龍夫『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』日本電気協会、1989年〕。 『写本大般若経奧書文節略』 『暦仁以来年代記』には津波を示唆する記録が見られるが、『暦仁以来年代記抄節』では「波荒」が「波花」となっており、高潮は地震によるものとは限らないとされる〔。 大森房吉(1913)は、本地震は奈良附近から大阪を経て四国の東北端に延長される一帯に発生した地震で、1361年正平地震や1854年伊賀上野地震と同系列に属するものと考えた〔大森房吉(1913) 大森房吉(1913): 本邦大地震概説, 震災豫防調査會報告, 68(乙), 93-109.〕。本地震を生駒断層帯に属す誉田断層の活動とする見解もある他、これを否定する意見、或は上町断層の活動とする説がある〔。 河角廣(1951)は斑鳩付近(北緯34.6°、東経135.7°)に震央を仮定し規模''M''K = 3.6 を与え〔Kawasumi(1951) 有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値,東京大學地震研究所彙報. 第29冊第3号, 1951.10.5, pp.469-482.〕、マグニチュードは ''M'' = 6.7に換算されている。宇佐美龍夫(2003)は(北緯34.6°、東経135.6°)に震央を仮定し ''M'' 6.5-7.0としている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永正地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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