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摂津艦(せっつかん)は日本海軍の軍艦。艦名は摂津国から採られる。日本海軍での1874年以降の正式艦名は「摂津艦」であるが、通常は摂津と記述される。 幕末に購入、艦歴の後半では主に練習船として使用された。 == 艦歴 == 本艦の元は汽船「コヤホッグ」で、三檣シップリッグ砲艦。アメリカで建造され、南北戦争の際には北軍で使用されていた。慶応4年6月(1868年7月から8月)に外人から購入、同年(9月8日より明治に改元)12月(1869年1月から2月)に摂津丸と命名された。翌明治2年(1869年)に広島藩に貸与されている。 1870年(明治3年)7月に普仏戦争が勃発し、その防備のために兵庫港に派遣された。 明治4年(1871年)広島藩から返還、9月18日(1871年10月31日)に一番貯蓄船(いちばんちょちくせん)と改名、11月15日(1871年12月26日)には五等艦と定められ、翌年に機関が撤去された。 1874年(明治7年)に摂津(艦)と改名、四等艦とされ、海軍省内堀に係留され練習艦として使用された。1876年(明治9年)11月より横浜で貯蓄船とされ、1878年(明治11年)12月以降は兵学校練習船に指定された。 1886年(明治19年)2月17日に除籍されたが兵学校授業船として引き続き使用された。1888年(明治21年)に兵学校が東京築地から広島県江田島に移転となり、本船は売却された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「摂津艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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