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摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて神戸市灘区の摩耶山中腹に存在したホテル。 ケーブル会社の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部〔廃墟としての摩耶観光ホテルを有名にした文献に『懐古文化綜合誌 萬(臨時増刊号 緊急特集 廃墟の魔力)』(ゆとり文化研究所 愚童學舎)が知られているが、同書に「この摩耶観光ホテルは、昭和五年(文献により四年のものも)に阪神電鉄系列会社の摩耶鋼索鉄道株式会社の福利厚生施設「摩耶倶楽部」として建設された(設計施工は大林組)。昭和七年よりホテルとして営業を開始」(32ページ)と記載されている。この摩耶倶楽部については、当時の建築学雑誌の新建築紹介ページに写真入りで「摩耶倶楽部 竣工昭和五年二月末日・鉄筋コンクリート四階建・施工大林組」と記載されている(『建築と社会』14-1、1931年1月、9ページ)。またこれを参照にした『阪神間モダニズム』でも摩耶倶楽部として紹介されている(淡交社、1997年、96ページ)。しかし第二次大戦前の資料では、ほとんどが本文で紹介した「摩耶ホテル」「摩耶山温泉ホテル」「摩耶山温泉」であり(例:「まやホテル けふから開業した」神戸新聞1929年11月17日)、「摩耶倶楽部」はこの建築学雑誌でしか確認できない。〕、第二次大戦前から戦中にかけては摩耶ホテルや摩耶山温泉ホテル・摩耶山温泉、戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶国際観光ホテル、ホテル閉鎖後の1970年(昭和45年)頃から1994年(平成6年)頃まで摩耶学生センター等と呼称された。また摩耶観光ホテル・摩耶学生センターの頃から、マヤカン(摩耶観光ホテルの略語)という俗称でも呼ばれている。設計者は今北乙吉。 現在は廃業し、そのアールデコ風のユニークな建築は廃墟となっており、内部は経年劣化による損傷が激しく危険であるため、完全に立入禁止となっている。 == 概要 == 摩耶鋼索鉄道(現・六甲摩耶鉄道)により摩耶駅付近に1929年(昭和4年)5月から建設され、同年11月に営業を開始。鉄筋コンクリート造で、軍艦を連想される外見から「軍艦ホテル」と呼ばれた。しかし1944年(昭和19年)に第二次世界大戦の激化により、摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線(現・神戸すまいまちづくり公社摩耶ケーブル線)が不要不急線として運行が停止されたため、ホテルの営業も翌1945年(昭和20年)に休止となった。 戦時中の空襲により大きな被害を受けたため復旧が遅れ、その後ケーブル会社から民間業者に売却されて、1961年(昭和36年)に全面改装の上で再オープン。内装は1959年(昭和34年)春に大阪で解体された豪華客船「ふらんす丸」(元フレンチ・ライン「イル・ド・フランス」)より装飾品などを買収し改装された。しかし台風等による被害で、1967年(昭和42年)頃にホテルの営業を休止。その後1974年(昭和49年)頃より学生のゼミ合宿やサークル合宿専用の「摩耶学生センター」として転用されたが、震災前の1993年(平成5年)に学生の合宿所としての使用も停止された。 その後の阪神・淡路大震災で倒壊こそしなかったものの、建物自体に大きな損傷が出ており立入禁止、ホテルの脇を通っていた登山道も通行止となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「摩耶観光ホテル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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