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エルンスト・ヤーコプ・オッペルト(Ernst Jakob Oppert、1832年12月5日 - 1903年9月19日)はドイツのユダヤ系(当時のドイツ連邦、後にドイツ帝国)の実業家。 1867年に、朝鮮の貿易障壁を除くために興宣大院君の父親(南延君)の遺骸を墓所から持ち去って恐喝しようとし、失敗したことで知られる(オッペルト事件)。 エルンストはハンブルクで、裕福なユダヤ系の銀行家の家庭に生まれた。二人の兄弟、ユリウスとグスタフはドイツの代表的な東洋学者となり〔Bräsel, S.: ''Ernst Jakob Oppert: "Ein verschlossenes Land" - Die erste Reisebeschreibung eines Deutschen über Korea '', project description, University of Erfurt, 2002. 2006年4月26日閲覧.〕、エルンスト自身は1851年に香港で貿易業を始めた。その会社が1867年に破産した頃、エルンストは当時厳しい鎖国政策を執り、西洋人にとって閉ざされた市場だった朝鮮との交易に興味を抱いた〔Lankov, A. ''A Grave enterprise '', The Korea Times, January 20 2005. 2006年4月26日閲覧〕。 ある訪問の際、エルンストはスタニラス・フェロン (Stanislas Féron) というフランスの宣教師に会い、貿易のために開国するよう脅すべく、興宣大院君(高宗の摂政。当時の朝鮮の実質的な統治者)の父親の遺骨を掘り出し、朝鮮より持ち去る計画を立てた。彼らはアメリカ人フレデリック・H・B・ジェンキンス (Frederick Henry Barry Jenkins) の資金と手を借りて、1868年4月30日に出発した。彼らは墓所にたどり着いて発掘を試みたが、遺骸を覆う巨大な切り石に阻まれて、目的を達することができなかった〔Williams, S. W.: ''Oppert's Kingdom of Corea '', book review of Oppert's book ''A Forbidden Land: Voyages to the Korea'' (G.P. Putnam's Sons, New York 1880), in ''New Englander and Yale review 39 (157)'', September 1880, pp. 509 – 521. 2006年4月26日閲覧〕。帰路、彼らは朝鮮の兵士と戦うこととなり、一行は朝鮮から逃げ出す羽目となった〔Neff, R.: ''The Ghouls of Choson '', The Korea Times, October 29 2004. 2006年4月26日閲覧.〕。この事件は朝鮮人を激昂させ、外国人との交易をより遠ざけるものとなった。 エルンストはドイツへ戻り、その後ずっと目立たない実業家としての生を送った。幾つかの出典によると、彼がこの重大な盗掘事件を起こした咎により、数ヶ月間服役したと主張している〔〔Kleiner, J.: ''Korea – A Century of Change'', World Scientific Publishing Company 2001, ISBN 981-02-4657-9; in particular ''Chapter 1: The Hermit Kingdom '', "Oppert's Act of Piracy" (p. 10). 2006年4月26日閲覧〕。1880年、彼は『禁断の国 朝鮮への船旅』(, )〔姜在彦 (2000): 76頁。服部之総『黒船前後・志士と経済』では『禁断国 朝鮮紀行』としている。〕 と題した一冊の本を出版した。それはライプツィヒのブロックハウス (Brockhaus) より出版され〔、英語にも翻訳された〔。 == 参考文献 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルンスト・ヤーコプ・オッペルト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ernst Oppert 」があります。 スポンサード リンク
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