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播州葡萄園(ばんしゅうぶどうえん)は、明治時代、兵庫県加古郡印南新村(現・加古郡稲美町)にあった国営のブドウ園およびワイナリー。明治前期の殖産興業政策の国家プロジェクトの一つで、ヨーロッパブドウの栽培とワインの醸造などを目的に1880年(明治13年)開設された。開設当初は、順調にブドウが生育していたが、1885年(明治18年)、フィロキセラによる虫害、さらに大雨と台風の被害を受け、甚大な損害を被った。1888年(明治21年)に民間に払い下げられた後、1896年(明治29年)には廃園状態となった。 播州葡萄園に関する資料はほとんど残っていなかったため、長い間、幻のブドウ園であった〔 〕。 1996年(平成8年)、稲美町印南地区の圃場整備中に、多くのレンガなどが出土し、加古川市教育委員会などによる発掘調査により、醸造所であったと思われるレンガ積みやガラス瓶などが出土した。現在、播州葡萄園歴史の館が建設され、当時の関連施設の材木の一部や発掘調査で出土した遺物、写真パネルなどで「幻の」播州葡萄園を紹介している。 ブドウ園跡地は、播州葡萄園跡の名称で国の史跡に指定されている。 == 開園まで == 加古郡印南新村は、水利の非常に悪いところであり、ほとんどの土地は、畑地として利用され、綿花が主な作物であった。綿花栽培は、江戸時代から姫路藩で奨励されていたものであり、地元の生計を支える唯一のものであった。ところが、元治・慶長から明治初期にかけて、干ばつによる水不足による不作、作付け面積の制限などで綿花栽培は大打撃を受けた。姫路藩時代には、年貢の軽減、援助米の支給などの救済策が取られていたが、廃藩置県により廃止された。また、開国により値段の安い外国綿の輸入で綿花の価格が下落し、販路を失うこととなった。これに追い打ちをかけるように、1873年(明治6年)の地租改正により農民に過大な負担が加わり、印南付近の住民生活は困難を極めた。 このような情勢の中で、北條直正加古郡長は、地元の救済のために納税の金策をはじめ、租税額の減免や納租の延期と疏水事業を興すことに奔走することになった。 ちょうどその頃、明治政府の勧農政策として、日本の南西部でのブドウ栽培の試験のための候補地探しの記事が大阪朝日新聞に報じられた。これを見た北條直正は、ブドウ園を誘致することを思い、直ちに上県した。福羽逸人の視察の際の北條郡長の熱心な説得により、印南新村にブドウ園を誘致することに成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「播州葡萄園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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