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支那本部 : ミニ英和和英辞書
支那本部[しな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

支那 : [しな]
 (n) China (sometimes derogatory)
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本部 : [ほんぶ]
 【名詞】 1. headquarters 

支那本部 ( リダイレクト:中国本土 ) : ウィキペディア日本語版
中国本土[ちゅうごくほんど]

中国本土(ちゅうごくほんど、、)は、漢民族が多数派民族である歴史的な中国の領土を、中国の他の地域と対比して指す表現。日本の人文科学で「シナ」(カタカナ表記)と呼ばれる歴史的領域の、現代の姿にほぼ一致する。かつては支那〔たとえば東京帝国大学文学部東洋史学専攻では、設立当初、研究対象とする地域を支那塞外西域朝鮮と区分していた〕、支那本部〔広辞苑第2版1001ページ〕(しなほんぶ)と呼ばれていた。
歴史的に中国の内地本土とは見なされない「外中国」地域には、新疆東トルキスタン)、チベット満洲中国東北部)、内モンゴルが含まれる。中国本土の面積は、およそ390万km²とされている〔http://www.mainlesson.com/display.php?author=bergen&book=china&story=general 〕 〔http://mars.wnec.edu/~grempel/courses/wc2/lectures/chinawest.html 〕。中国本土は、北方の外中国の広大な領域とは、おおむね万里の長城によって区画されている〔http://lcweb2.loc.gov/frd/cs/china/cn_glos.html〕〔http://www.britannica.com/EBchecked/topic/112797/The-Chinese-Wall〕。中国本土では「」が各地に設置され中央の直轄支配下にあったが、外中国では主に、中国皇帝に臣属する各民族の諸侯らの自治に任せる方法が取られていた。
== 概念の起源 ==
「中国本土」という概念に相当する英語「チャイナ・プロパー (China proper) 」などの表現が、いつ頃西洋で用いられ始めたのかははっきりしていない。米国の中国専門家ハリー・ハーディングによれば、その用例は1827年まで遡ることができるという (Harding, 1993)。しかし、それ以前にも、1795年ウィリアム・ウィンターボサムが、著書の中でこの概念に触れている (Winterbotham, 1795, pp.35-37)。清朝の中国帝国について述べる際に、ウィンターボサムは、これを中国本土 (China proper)、中国領タタール地域 (Chinese Tartary、満洲)、朝貢国に三分している。ウィンターボサムは、デュ・アルド〔ジャン=バプティスト・デュ・アルド(1674年 - 1743年)。フランス人のイエズス会修道士で、自身はアジアへ赴かなかったが、イエズス会修道士たちの報告書簡を編纂し、それに基づいて1735年に浩瀚な『シナ帝国全誌』を公刊した。〕やグロシエ〔ジャン=バプティスト・グロシエ(1743年 - 1823年)。フランス人のイエズス会修道士で、自身はアジアへ赴かなかったが、Le Roux Deshauterayes1724年 - 1795年)とともに『中国全史 (''l'Histoire générale de la Chine'') 』を編纂した。〕の説に従い、「China」の呼称はに由来すると考えていた。その上でウィンターボサムは、「シナ (China) と、本来 (properly) 呼ばれるのは、…… 緯度で南北18度、経度で東西はもう少し狭い範囲」と述べている。
しかし、中国本土(チャイナ・プロパー)という用語を導入しながら、ウィンターボサムは1662年に廃されたの15省体制に基づいた記述をしている。明の15省の地方区分と比べると、ウィンターボサムは江南 (Kiang-nan) を省名としているが、この地域は明代には南直隷と呼ばれており、江南に改称されたのは満洲族が明を倒した翌年1645年のことであった。この15省体制は、1662年から1667年にかけて18省体制に再編された。ウィンターボサムが中国本土(チャイナ・プロパー)の説明に、15省体制を前提としつつ江南省の名称を用いたということは、この概念が、1645年から1662年にかけての時期に登場してきたことを示している。
1795年のウィンターボサムの著書以前にも、中国本土(チャイナ・プロパー)という概念が用いられている例はあり、1790年の雑誌『''The Gentleman's Magazine''』や、1749年の雑誌『''The Monthly Review''』にも用例がある〔いずれも著作権は消滅しており、Google ブックスで全文を見ることができる。〕。
19世紀には、「チャイナ・プロパー」という用語は、中国当局者がヨーロッパの言語でコミュニケーションを図る場合にも使われるようになる。例えば、清が英国に派遣した大使曽紀沢は、1887年に英文で公表した記事でこの用語を使っている〔Marquis Tseng, "China: The Sleep and the Awakening," The Asiatic Quarterly Review, Vol. III 3 (1887), p. 4.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中国本土」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 China proper 」があります。




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