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峯風型駆逐艦(みねかぜがたくちくかん)は、八四艦隊計画、八六艦隊計画に基づいて1917年(大正6年)から1918年(大正7年)にかけて15隻が建造された日本海軍の一等駆逐艦である〔#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|峯風型|峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、波風、沼風』〕。大正7年度計画艦のうち、第13番艦以降の最後の3隻は兵装の配置を変更したため、非公式に野風型或いは峯風改型と呼ばれる事もある。一番艦の就役開始は1920年(大正9年)3月16日、最後の艦の除籍は1947年(昭和22年)。 == 概要 == 日本の天城型巡洋戦艦やアメリカのレキシントン級巡洋戦艦など、30ノットを超える速力を持つ巡洋戦艦の出現に対応して、38,500馬力のオール・ギヤードタービンを搭載して39ノットの高速を発揮している。4番艦「島風」は特に性能良好で、当時の日本海軍最速記録となる速力40.7ノット〔新造時の全力公試で常備排水量1,379トン、出力40,652馬力において40.698ノットを記録する。〕を発揮し、後年、日本海軍最後の艦隊型駆逐艦であり、先代「島風」の記録を更新する40.9ノットを発揮した丙型駆逐艦「島風」に名前を引き継いでいる。 これまで日本の駆逐艦はイギリスの駆逐艦の設計をモデルに改良を重ねてきたが、凌波性の向上のため同時期に計画された中型駆逐艦樅型と同様、艦首楼甲板を艦橋の直前でカットしてウエルデッキを設けて甲板を乗り越えた海水を受け止めるとともに、艦橋を極力船体中央部に移動する事で波浪の直撃を避けるというかなり思い切った設計変更を行った。この方式は第一次世界大戦前のドイツ海軍がG132級以降の水雷艇に採用した方式である。また、同時期に計画された戦艦や巡洋艦と同様、艦首にスプーンバウを採用して秘密兵器たる1号機雷の使用を考慮している。 主機はパーソンズ式インパルス・リアクション・ギアード・タービンを搭載した。しかし竣工から故障が多くその後の国産タービン(艦本式タービン)開発の契機となった。 これまでの駆逐艦と比べて凌波性がかなり改善されたといえるが、それでも用兵側の満足に達せず、14ノットで3,600浬と言う航続力も更に延伸する事を望まれたが、航洋駆逐艦としてようやく実用に足る性能をもった艦形であると言える。 用兵側の満足に達する凌波性を達成するには後の吹雪型駆逐艦まで、航続力を達成するには無条約時代の陽炎型駆逐艦まで待たなければならなかった。 改良型である一等駆逐艦神風型や一等駆逐艦睦月型とともに昭和初期まで水雷戦隊の主力を担っていたが、特型駆逐艦の充実と艦の老朽化に伴って徐々に除籍または他艦種への類別変更を行い、太平洋戦争に駆逐艦として参加した艦も大半が後方での船団護衛任務や、空母部隊の随伴艦として訓練時の事故救難任務に当たっている。 1940年(昭和15年)4月には2隻(島風、灘風)が哨戒艇に転籍〔#S15達4月(1)pp.2-3『達第七十二號 舊驅逐艦ヲ特務艦籍ニ編入シ左ノ通命名ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 吉田善吾|第一號哨戒艇(舊驅逐艦島風) 第二號哨戒艇(舊驅逐艦灘風) 第三十一號哨戒艇(舊驅逐艦菊) 第三十二號哨戒艇(舊驅逐艦葵) 第三十三號哨戒艇(舊驅逐艦萩) 第三十四號哨戒艇(舊驅逐艦薄) 第三十五號哨戒艇(舊驅逐艦鳶) 第三十六號哨戒艇(舊驅逐艦藤) 第三十七號哨戒艇(舊驅逐艦菱) 第三十八號哨戒艇(舊驅逐艦蓼) 第三十九號哨戒艇(舊驅逐艦蓬) 第四十六號哨戒艇(舊驅逐艦夕顔)』〕。1942年(昭和17年)には「矢風」が標的艦となっている。その他の艦は駆逐艦籍のまま活躍した。同型艦15隻中終戦時に残存したのは4隻(澤風、汐風、夕風、波風)だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「峯風型駆逐艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Minekaze-class destroyer 」があります。 スポンサード リンク
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