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改野 耕三(かいの こうぞう、安政4年3月5日〔『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。〕(1857年3月30日) - 昭和3年(1928年)5月19日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、南満州鉄道株式会社理事を歴任した。 ==経歴== 播磨国揖東郡東南村(現在の揖保郡太子町)に、改野重五郎の長男として生まれた〔『兵庫県代議士候補人物公評録』p.15〕。生家は熊本藩の用達を務めながら、農業を営んでいた〔『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.28〕。1874年(明治7年)に飾磨県小学校掛・東南村戸長に任命され、さらに矢田部村戸長、糸井村戸長、揖東郡村戸長総代を歴任した〔。1880年(明治13年)に揖東郡書記に転じ、農会議員・学務委員を経て、兵庫県会議員に選出された〔。 やがて大同団結運動、愛国公党に参加し、自由党再興に貢献した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、11回の当選を重ねた。その間、1900年(明治33年)から翌年まで農商務省官房長を務めた〔『新選代議士列伝』p.54〕。また自由党(政友会)の宣伝機関であった『自由通信』の社長を務めている。 1914年(大正3年)、南満州鉄道株式会社の理事に就任。1919年(大正8年)まで在任した〔南満洲鉄道株式会社庶務部調査課編『南満洲鉄道株式会社二十年略史』、南満州鉄道株式会社、1927年〕。 その他、網干銀行取締役、日本水産販売株式会社社長なども務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「改野耕三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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