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株式会社放送動画制作(ほうそうどうがせいさく)は、日本のテレビ映画の制作会社、とりわけアニメーション制作会社として知られる企業である〔''『ファイトだ!!ピュー太』研究報告''、アニメスタイル、2012年6月6日閲覧。〕。『官報』には株式会社放送動画製作と記載されている〔『官報』、1973年。〕。 1972年に「株式会社大日」(だいにち)に商号変更し、テレビ・ラジオCMなどの制作会社として存続。2006年に毎日放送が保有していた株式20%を電通テックに売却した。 == 放送動画制作の略歴・概要 == 毎日放送が、『おそ松くん』のアニメ化をもってテレビアニメーション製作に初めて参入した1966年(昭和41年)、毎日放送は、東映動画(現在の東映アニメーション)を退社した山本善次郎(山本早苗)が2年前に設立したチルドレンズ・コーナーと、鈴木伸一らが3年前に設立したスタジオ・ゼロに実制作の発注を行い、同作を製作したことが前史として存在する〔。 翌1967年(昭和42年)、毎日放送は、自社の子会社である「株式会社放送動画制作」にアニメ部を設け、チルドレンズ・コーナーとともに『かみなり坊やピッカリ・ビー』の制作を行ったのが、同社のアニメ制作の始まりである〔〔かみなり坊やピッカリ・ビー 、allcinema ONLINE、2012年6月6日閲覧。〕。スタッフはチルドレンズ・コーナーと同様に、ほとんどが東映動画出身者であり、光延博愛は同作で初めて演出としてクレジットされた〔。 1968年(昭和43年)、毎日放送は同社製作のテレビアニメーション第3作『ファイトだ!!ピュー太』を、放送動画制作に全面発注する〔〔ファイトだ!!ピュー太 、allcinema ONLINE、2012年6月6日閲覧。〕。構成に斎藤賢、光延博愛、永沢詢(永沢まこと)がクレジットされており、光延がチーフディレクターとして機能した〔データ原口さんに色々と教えてもらおう(後編) 、アニメスタイル、2012年6月6日閲覧。〕。同作には、林静一、鈴木欽一郎、白石邦俊(クニトシロウ)も参加した〔。『かみなり坊やピッカリ・ビー』、『ファイトだ!!ピュー太』いずれも白黒フィルムで撮影された、白黒テレビ映画であった。 『ファイトだ!!ピュー太』の放映後、同社のアニメーション制作スタッフは解散した〔。斎藤賢、永沢まことらはオフィス・ユニを設立、土田治やクニトシロウはこれに参加、『キリンものしり大学 マンガ人物史』(1970年 - 1971年)や『世界ものしり旅行』(1971年 - 1974年)等を制作した。1973年(昭和48年)の『官報』には、「株式会社放送動画製作」が同一の所在地で記載されているが、法人格を継承している大日は1972年に社名変更したとしているため、関係は不明である。〔。 放送動画制作は、永沢まこと、倉橋達治 (倉橋孝治、倉橋こうじ)、竹内大三、ひこねのりお(彦根範夫)ら、のちにCM界や個人作家として大成する人物を多く排出している〔。『ファイトだ!!ピュー太』は再放送の機会も少なく伝説の作品とされ、放映当時に目撃していた庵野秀明や吉松孝博らの評価は高かった〔。1990年(平成2年)、毎日放送千里丘放送センターのスタジオ機能移転時に、フィルム保管倉庫から放送動画制作の作品が発見され、約30年ぶりに再評価の機会を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「放送動画制作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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