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政尾 藤吉(まさお とうきち、明治3年11月17日〔法学博士政尾藤吉 〕(1871年1月7日) – 大正10年(1921年)8月11日〔『官報』第2714号、大正10年8月17日〕)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、駐シャム(タイ)公使。法学博士。 == 経歴 == 伊予国喜多郡大洲町(現在の愛媛県大洲市出身。大洲藩御用商人政尾勝太郎の長男〔「政尾藤吉伝 (1)」〕。慶應義塾と同人社を経て、1889年に東京専門学校(現在の早稲田大学)英語普通科を卒業した〔。1890年、関西学院の神学部に入学し、翌年にアメリカ合衆国への留学に出発した〔。最初、テネシー州ヴァンダービルト大学神学部に入学したが、1893年に方向転換し、ウェストバージニア大学ロースクールに入学して1895年に卒業した〔。1896年、イェール大学を卒業し、法学修士号を得、翌年には同大学から民事法博士号を得た〔。 帰国後、ジャパン・タイムズの記者となったが、外務省の委嘱でシャムに派遣された。1898年、総務顧問補佐となり、1902年に法律顧問となった〔。1903年、主席法律顧問に就任し、1913年まで務めた。法典編纂の功績で侯爵に叙任され、王族待遇を受けた〔『衆議院要覧』〕。 シャムから帰国後は、1915年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1917年の第13回衆議院議員総選挙でも再選された。 1920年12月、駐シャム公使に任命されたが、翌年8月、在任中に死去した〔特命全権公使政尾藤吉特旨叙位ノ件 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「政尾藤吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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