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教会囲い地(きょうかいかこいち)または聖堂囲い地(せいどうかこいち、Enclos paroissial、複数形ではenclos paroissiaux)は、フランス、ブルターニュ・バス=ブルターニュ地方の特徴的な宗教建築。そのほとんどが16世紀から17世紀の間に建設されている。この時代に亜麻および麻の貿易によってブルターニュが経済的な繁栄を迎えていたのが、その理由である。 ==囲い地の起源== こうした囲い地の建設が頂点に達したのは16世紀から17世紀である。大都市の中心部から離れて立地し、そのため庶民の芸術あるいは小教区的な芸術とみなされることが多いこれらの作品は、地域の文化に深く根差す一方で当時のブルトン人同様に外部からの影響を広く受けたものでもある。最も見事なものはフィニステール県のレオン地方南部とコルヌアイユ地方北部でみられる〔http://renaissance.suite101.fr/article.cfm/les_enclos_paroissiaux_bretons〕。 教会囲い地の黄金時代は、ブルトン人が国際的な海運業で非常に大きく成長した時代と一致している。世界中の港ではブルトン人の商船がよく見られた。16世紀から17世紀初頭にブルトン語は現在の英語と同様に、ほとんど国際的な商業言語となっていた〔http://www.phil-ouest.com/Timbre.php?Nom_timbre=Guimiliau〕。 帆船による航海では亜麻と麻(帆、布、衣類、ロープ)が大量に必要とされた。亜麻と麻が栽培され、布に織り上げられ、亜麻布が売買されたレオンやコルヌアイユ地方では、したがって、並外れた富を生み出す時代を経験し、栽培および亜麻布貿易の圏内では教会囲い地の建設が可能になった。 最も美しい囲い地を持とうとして、どの村も隣の村と競い合った。ブルトン語作家フロリアン・ル・ロワ(fr)が述べている、距離にしてほんの2kmか3kmしか離れていないギミリオーとランポール=ギミリオーのケースがその例である〔Léon Le Berre, "Conférence de Florian Le Roy sur l'art breton en Haute et Basse Cornouaille", article publié par le journal :fr:Ouest-Éclair n°15558 du 17 juin 1939, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6616541/f7.image.r=Guimiliau.langFR〕: 『ブール間の競争意識は放縦な発展をみた。四半世紀の間、泉、磔刑像、教会の説教壇、礼拝行進用の十字架の出来が争われた。サン=テゴネックとギミリオーの教会施設管理者は同じ時期に、前者は凱旋門、後者は町の住民たちがユグノー戦争中に目にした騎兵とランツクネヒトを配して150以上の人物像を彫りこんだ磔刑像を発注した。サン=テゴネックはこの直後、追い抜かれまいとして2人の強盗を彫った複数の十字架像を発注し、プレバンは十字架を頂いたモニュメンタルな玄関ポーチを発注した。そこでギミリオーは洗礼堂、パイプオルガンの外装箱、誰も見たこともないような説教壇を望んだ。いい意趣だ!これに対してサン=テゴネックはローマのサン・ピエトロ大聖堂にもふさわしいような説教壇、モルレーの彫刻家レスペニョールによるキリスト埋葬像で対抗した。この人里離れた山間の小教区はひとしく競争心で燃え上がり、シザンは凱旋門を、コマナとボディリスは見事な玄関ポーチを手に入れることとなった。』 1695年、王の勅令によって不必要な教会囲い地の建設を含む、新たな宗教建築の建設が禁止された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「教会囲い地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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