|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 教会 : [きょうかい] 【名詞】 1. church ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club ・ 大分 : [だいぶん, おおいた] 1. (adv) considerably 2. greatly 3. a lot ・ 分 : [ぶん, ふん] 1. (n,n-suf,pref) (1) part 2. segment 3. share 4. ration 5. (2) rate 6. (3) degree 7. one's lot 8. one's status 9. relation 10. duty 1 1. kind 12. lot 13. (4) in proportion to 14. just as much as 1 ・ 分裂 : [ぶんれつ] 1. (n,vs) split 2. division 3. break up
教会大分裂(きょうかいだいぶんれつ)とは、1378年から1417年の間、ローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇が立ち、カトリック教会が分裂した状態の事である。最も有名なシスマの1つで、単に「シスマ」という場合はこの事件を指すことも多く、また、「大シスマ」とも呼ばれる(「大シスマ」は、東西教会の分裂を指すこともある)。西方大離教、西方教会大分裂ともいう。 1377年、グレゴリウス11世(在位:1370年 - 1378年)が教皇庁をアヴィニョンからローマに戻すが、翌年死去。教皇選挙(コンクラーヴェ)でイタリア人(ナポリ出身)のウルバヌス6世が教皇に選出された後、多数派のフランス人枢機卿らは選挙は無効だとして、ウルバヌス6世の廃位とジュネーヴ出身のクレメンス7世の教皇選出を宣言した。クレメンス7世はアヴィニョンに戻り、教皇位を主張したウルバヌス6世はローマに留まった為、カトリック教会は両派に分裂することになった。 事態収拾のため、1409年にピサ教会会議が開催され、2人の教皇(グレゴリウス12世・ベネディクトゥス13世)の廃位とアレクサンデル5世の選出を決めるが、2人の教皇は納得せず、結局、3人の教皇が鼎立する事態になった。 アレクサンデル5世の後継者であるヨハネス23世は1414年、神聖ローマ皇帝ジギスムントの圧力を受け、ドイツにコンスタンツ公会議を召集する。会期中にヨハネス23世はコンスタンツから逃亡してしまった為、公会議により廃位とされ、グレゴリウス12世も退位に同意。後にベネディクトゥス13世も廃位された。1417年、新たにマルティヌス5世が教皇に選出され、ようやく教会大分裂は収束した。 ==歴史== === 発端 === 教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマへ戻し、アヴィニョンの時代は終わったかに見えた。 しかし、1378年、グレゴリウス11世の死後、教皇選挙でウルバヌス6世が即位した。枢機卿団はフランス人が圧倒的に多かったが、イタリア人教皇を求める声は強く、さらにフランス人枢機卿の間にも分裂が生じていた。ウルバヌス6世は当初官僚的で温厚な人物だと考えられていたが、即位すると枢機卿に対し強圧的になった。その結果フランス人枢機卿がローマを去り、イタリア人枢機卿たちもこれに従った。彼らはしばらく教皇と交渉と試みたが、埒があかないことを悟ると、一転してフランス王の甥にあたるクレメンス7世を選出し、アヴィニョンに拠った。ここにローマとアヴィニョンに2人の教皇、2組の枢機卿団が並立する長い教会大分裂が始まった(1378年〜1417年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「教会大分裂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|