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教樹院 ( リダイレクト:覚樹院 ) : ウィキペディア日本語版
覚樹院[かくじゅいん]
覚樹院(かくじゅいん、元禄10年(1697年) - 安永6年11月28日1777年12月27日))は、江戸時代の女性で、8代将軍・徳川吉宗側室。俗名は久免(くめ)。
== 生涯 ==
紀州藩士・稲葉定清の娘として生まれる。吉宗の側室であるお梅の方お古牟の方が立て続けに亡くなり、和歌山城で吉宗の生母である浄円院の世話をしていた久免が側室として迎えられた。
享保6年(1721年)に吉宗との間に芳姫(正雲院)を出産するが、翌年、享保7年(1722年)に夭折した。寛延4年(1751年)、吉宗の没後に出家し、覚樹院と号する。
安永6年(1777年11月28日、81歳で死去する(82歳であったという説もある)。戒名は覚樹院曜譽光記智仙大禅定尼、後に教樹院曜譽光託智仙大禅定尼と改めた。墓所は小石川伝通院

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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