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教部省[きょうぶしょう]
教部省(きょうぶしょう)は、明治初期の太政官制度のもと、宗教統制による国民教化の目的で設置された中央官庁組織である。 == 概説 == 明治5年3月14日(1872年4月21日)に神祇省を改組し、民部省社寺掛を併合する形で設置〔安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』444ページ〕。神祇官内に設置された宣教使の神道と儒教を基本とした国民教導が失敗したことを受け、当時最大の宗教勢力であった仏教、特に浄土真宗の要請によって神・儒・仏の合同布教体制が敷かれた。キリスト教の(半ば黙認という形での)禁制解除、社寺に於ける女人結界の解除など近代宗教政策を実施する一方で、神祇官が為し得なかった国民教化を実現する為に教導職制度を設け、三条教則による国民教化・大教宣布〔安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』431ページ〕運動を行った。教導職は半官半民の任命制であり、神官・神職、僧侶などの宗教家を始め、落語家や歌人、俳人なども教導職に任命された。国民教化をより具体的に行う為、教導職の全国統括機関である大教院、各府県単位の統括を行なう中教院が設置され、全国に小教院が置かれた。しかしながら、当時新進であった神道勢力と旧来よりの勢力を保っていた浄土真宗との深刻な意見対立によって実績は揚がらぬまま、浄土真宗の大教院離脱を経て、明治10年(1877年)1月11日に廃止、機能は内務省社寺局へ移された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「教部省」の詳細全文を読む
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