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散打(さんだ、''Sanda'')は中国武術での、スパーリングや組手あるいは試合に類する行為。散手 (''Sanshou'') とも言われ、競技の正式名称でもある。技術交流のために開かれる大会も散打大会、散手大会などと呼ばれる。日本においても様々な流派が様々なルールで大会を開催している。 IOC承認競技団体である国際武術連盟の武術(ウーシュー、日本名武術太極拳)競技でも以前は表演競技の套路競技のみであったが、現在では散手(散打)競技も種目化しており、アジア武術選手権大会でも実施され、ワールドカップも開催している(詳細は武術太極拳)。 ==歴史== === レオン・チウ勢力 === 「散打」の名で新しい格闘技を展開する動きもある。レオン・チウ (Leon Chiu) は詠春拳、洪家拳、少林拳などの経験を背景にこの格闘競技を創立した。 1997年頃からはプロ格闘技としてアメリカと中国で試合が開催されるようになる。 従来の中国武術は統一ルールでの競技化されていなかったため、タイのムエタイ、日本の空手、韓国のテコンドーなどにどうしても遅れをとっていた。 他国の格闘競技のルールと中国武術の技法を検討して他流試合などを行い、試行錯誤を繰り返して従来の格闘技のルールの隙間を縫うように立ち技ながらも投げ主体(投げによるポイントはダウンと同程度)、蹴り技はサイドキックを多用、崩れたところにフック気味のパンチで抱きついて投げを打つというスタイルに落ち着いた。 この様な競技化を推進する事によって武術古来の技法用法を失うという側面もあり、本来武術の持つ目的を失いゲーム化する流れに批判的な意見も多い。 日本においてはシュートボクシングやK-1との交流試合を行ったことで一般に知られるようになった。2004年7月には、張慶軍(ジャン・チンジュン)と言う散打の選手が、曙太郎とK-1ルールで試合を行い、当時18歳という若さながら、判定で勝利を収めている。また、張は2005年にWBCムエタイヘビー級初代インターナショナル王者の座に就いている。 そのほかにも、シュートボクシングのリングで中国人散打選手の鄭裕蒿(ジョン・イーゴ)が活躍するなど、徐々に散打の立ち技格闘技での地位が向上している。 散打の試合には大道塾や極真会館等の団体から日本人選手も参戦しており、2007年11月に北京で行われた「第9回世界武術選手権大会」散打・67kg級において、笹沢一有(大道塾)がベスト8に入り、2008年北京五輪期間中に、五輪センター体育館にて開催される「北京武術大会」の散打部門に日本代表として出場することが決定している。 試合模様については、すぐにクリンチ状態になる散打選手に対し批判が多かったが、そもそも散打は組み付きと投げを基本とし、打撃がそれを補佐するという技術体系であるため、試合がこのような状態になるのは仕方のないことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「散打」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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