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文ノ里停留場(ふみのさとていりゅうじょう)は、大阪府大阪市阿倍野区にあった南海電気鉄道平野線の駅。 == 概要 == 現在の大阪市阿倍野区文の里2丁目・昭和町1丁目の境界付近、文の里商店街の入口近くにあった。千鳥式配置の単式2面2線のホームを設置していた。 この近辺は天王寺土地株式会社が住宅地として開発し、また同社は駅を建設して南海鉄道に寄付した。同社は、付近に学校が多くあることから駅名を「文ノ里」と命名した。その後駅名にあやかり、1951年には駅周辺の住居表示も「文の里」と改称された。 出札窓口、ラッチを備えた、平野線の中間駅唯一の駅員配置駅だった。多くの乗降客に対応すべく、ホームは、幅は広くゆったりしており、2輌連結運転に対応した長さであった。その後、阪神高速14号松原線工事に伴う線路移設によりホームも移設した。用地の関係上、下りホームは幅が狭くなってしまったが、朝のラッシュに備える必要のある上りホームは、旧来の幅をほぼ保ち移設された。ただし上下のホーム共、長さは1輌分に短縮された。 合理化の一環として、上町線のワンマン化と共に1976年に無人駅化された〔ただし、しばらくは朝のラッシュ時のみ集改札の係員がホームに立った。またこれ以降、平野線内で定期乗車券・回数券が購入出来るのは、平野停留場だけとなった。〕。ラッチは撤去され、出札口が塞がれた〔 板で塞いだ状態の出札口は営業廃止まで残っていた。〕。また、平野線の中間駅では唯一、保線用の詰め所(平野管理班)が併設されており、営業廃止まで活用された〔廃止後、建物は撤去されたが、当時の歪な多角形の敷地のまま舗装され、現在は駐車場として使われている。〕。 駅跡地(大阪市営地下鉄谷町線文の里駅7号出入口が近い)には南海平野線や文ノ里停留場の歴史を記した記念碑が建てられている。記念碑は地元の文の里商店街の要望を受け、南海電鉄が設置した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文ノ里停留場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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