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文武学校 : ミニ英和和英辞書
文武学校[ぶんぶがっこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文武 : [ぶんぶ]
 【名詞】 1. literary and military arts 2. the pen and the sword
武学 : [ぶがく]
 (n) military science
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof

文武学校 : ウィキペディア日本語版
文武学校[ぶんぶがっこう]

文武学校(ぶんぶがっこう)は、江戸時代後期に創設された信濃国松代藩藩校である。明治時代初期に廃止されたが、藩校の建物は昭和期まで学校として使用されていた。日本全国約250中の藩校でも、建設当時から建造物や藩校敷地がそのまま残っている。
現在、長野市によって公開されている。
== 歴史 ==
第6代藩主真田幸弘のとき、江戸から菊池南陽を招いたことから、松代藩での藩士の教育が始まる。時が下り、第8代藩主真田幸貫が清須町の喰違御用屋敷手狭につき、学舎建設の計画を立てていたとき、佐久間象山は藩家老矢沢監物に「学制意見書及学堂規則」を提出、幸貫はすでにあった水戸弘道館を参考にするため、儒官林鶴梁をして藤田東湖から組織経営方法を聞くよう命令。幸貫は東湖からの詳細な返事を経て建設を決意し、総奉行鎌原貫唯、奉行に菅沼正身長谷川昭道に任じ、喰違御用屋敷に藩士の金井美濃輔の屋敷を併せ地割棟梁などを手配し着手するが、幸貫は逝去、第9代藩主幸教が遺志を受け継ぎ、完成。安政2年(1855年)に開校した。総敷地3089m²(934坪) 建坪1500m²(455坪)廃藩に伴い、明治6年以降、初等教育の場として昭和40年代まで使われる。1953年に国の史跡に指定され、松代小学校が隣接地に移転、その後復元工事が行われ、長野市によって公開されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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