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文禄(ぶんろく)は、日本の元号の一つ。天正の後、慶長の前。1593年(グレゴリオ暦。ユリウス暦では1592年)から1596年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、将軍は不在。 == 改元 == *天正20年12月8日(グレゴリオ暦1593年1月10日) 後陽成天皇の代始改元というも即位6年目という歴史上3番目に長い遅滞〔1番長いのは称光天皇の即位16年後で、これは将軍足利義持が代始改元を阻んだためにその死まで延期せざる得なかったという事情のため。結局、称光天皇が代始した正長の元号は3か月後の天皇崩御によって一年で終わった。2番目に長いのは霊元天皇の即位10年後で、これは践祚の直前、内裏の火災という災異で改元したばかりであることによる。結局、再び内裏で火災があって改元に至った。〕で、豊臣秀次の関白就任による改元という説〔 三鬼清一郎 「豊臣秀吉文書に関する基礎的研究」 (『名古屋大学文学部研究論集史学』34号、1988年)〕がある。 *文禄5年10月27日(グレゴリオ暦1596年12月16日) 慶長に改元 文禄への改元は、「武家関白制」を採った豊臣政権最初の改元であり、新天皇の代始改元を行いたかった公家側の希望と日本全国の平定を果たした武家側の要請が一致して実施された改元であると考えられている〔神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第一章「織豊期の改元」〕。秀次関白就任1年後に改元され、さらに秀次切腹事件の1年後〔文禄4年に改元を願い出たが朝廷が拒否。〕に慶長へと豊臣政権2度目の改元に至った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文禄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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