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文英尼 : ミニ英和和英辞書
文英尼[ぶんえいに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [あま]
 【名詞】 1. (col) nun 2. bitch 

文英尼 : ウィキペディア日本語版
文英尼[ぶんえいに]
文英尼(ぶんえいに、慶長14年(1609年)- 延宝8年(1680年))は、江戸時代初期の女性。
父は園基任。はじめ、中和門院(近衛前子)に女官として仕えていた。その後、正室である徳川秀忠の娘・初姫を病気で亡くした京極忠高後室として嫁いだと思われる。
寛永14年(1637年)に忠高が死去すると出家し、文英尼と号した。
万治2年(1659年)、修学院離宮後水尾天皇から譲渡され、輪王寺宮守澄法親王の補助を受け、景川宗隆を開基として大悲山円通寺とした。寛文2年(1662年)には霊元天皇の行幸を受ける。
妹に後水尾天皇典侍園光子(壬生院)がおり、後光明天皇の叔母にあたる。兄の園基音の娘が園国子(新広義門院)であり、霊元天皇の大叔母であることもあり、霊元天皇の乳母となる。
延宝8年(1680年)に死去。享年72。戒名は円光院瑞雲文英大姉
== 出典 ==

* 国民の歴史
* 京都の寺社505を歩く 上巻
* 京都府愛宕郡村誌
* 日本歴史大辞典 第 2 巻
* 京都ともある記



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「文英尼」の詳細全文を読む




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