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斎藤 勁(さいとう つよし、1945年7月10日 - )は、日本の政治家。 横浜市会議員、参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、内閣官房副長官(野田内閣)を歴任。 == 来歴 == 神奈川県横浜市生まれ。中学校卒業後、横浜市役所に就職し、働きながら横浜市立横浜商業高等学校定時制、神奈川大学第二法学部卒業。 1987年、横浜市会議員選挙に出馬し、初当選。1995年、第17回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で神奈川県選挙区から出馬し、当選。1996年、社会党の党名変更により社会民主党の結成に加わるがのちに離党し、旧民主党結党に参加した。2001年の第19回参議院議員通常選挙には民主党公認で出馬し、再選。 2005年、参議院議員を辞職し第44回衆議院議員総選挙に神奈川11区から民主党公認で出馬したが、圧倒的な強さを誇る首相の小泉純一郎を相手に14万票超の大差で惨敗し、比例復活ならず落選。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に比例区から出馬したが、落選。2009年の第45回衆議院議員総選挙に比例南関東ブロック単独で出馬。民主党の大勝により比例区に重複立候補していた候補者の大半が小選挙区で議席を獲得したため、比例名簿の下位に登載されていた斎藤も当選し、4年ぶりに国政に復帰。 2011年9月、野田内閣の内閣官房副長官に就任。 2007年の参院選で当選した大石尚子が2012年1月4日に死去したことに伴い、中央選挙管理会が2012年1月11日に繰上補充の選挙会を開き〔2012年(平成24年)1月11日中央選挙管理会告示第1号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における欠員による繰上補充の選挙会の場所及び日時に関する件」〕、名簿順から斎藤を繰り上げ当選とする告知を2012年1月12日に受けたが〔2012年(平成24年)1月12日中央選挙管理会告示第2号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における欠員による繰上補充による当選の告知及び当選の告示の件」〕、既に2009年の総選挙で衆議院議員に当選しているため、告知から5日以内に衆議院議員の職を辞した旨の届出をせず、その当選を失った〔参議院議員選挙にかかる繰上補充 - 総務省〕。このため、次点の玉置一弥が繰り上げ当選となった〔2012年(平成24年)1月17日中央選挙管理会告示第4号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る当選人の繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」。〕。 次期総選挙には出馬しない意向を示していたが、衆議院解散後間もなく山梨1区の党公認候補として擁立されることが決定した。同選挙区を地盤としていた小沢鋭仁が、離党(除籍)し日本維新の会へ移籍したため党の支部長が空席となっており、幹事長で旧日本社会党時代から交流のある輿石東の要請を受けて、内諾したと言われる〔 朝日新聞 2012年11月23日〕。一方で、輿石と犬猿の仲である小沢を選挙区で当選させないための「刺客」候補とも言われており〔2産経新聞 2012年12月9日〕、結果民主票の切り崩しに成功し小沢の選挙区当選を阻止している〔当選した自由民主党候補の宮川典子が54,930票なのに対し斎藤と小沢の合計が60,484票(斎藤26,070票、小沢34,414票)であり、民主党が対立候補を擁立していなければ小沢が選挙区で当選していた可能性が高い。〕。なお、小沢は比例復活したのに対し、斎藤自身は落選している。2013年3月に政界を引退した〔齋藤勁氏が政界引退 | 南区 | タウンニュース 〕。 2016年3月までの任期で法政大学大学院客員教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤勁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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