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斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー選手。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。 == 来歴 == 高校時代、大阪選抜で稲本潤一とダブルボランチを組んでいたことがある。林卓人は高校の2年後輩にあたる。 1999年、京都パープルサンガに入団。3年目の2001年までは出場機会に恵まれなかった。 2002年も序盤は途中出場の1試合のみの出場(その試合も本来はベンチ外で、当日に他の選手の負傷によって急遽ベンチ入りしたもの)にとどまっていたが、転機が訪れたのはリーグ戦中断中に行われたこの年のナビスコカップ予選リーグであった。当時、ボランチのレギュラーであった朴智星が2002 FIFAワールドカップで韓国代表に合流するためチームを離れたことによりレギュラーに抜擢され、展開力と正確なロングパスで彼の穴を埋める活躍を見せる。ワールドカップ終了後に朴が合流した後は、黒部光昭、松井大輔らと組む3トップの一角として起用され、京都のチーム力アップに貢献した。この年チームは過去最高の年間5位、天皇杯初制覇を達成する。 2003年に背番号を16に変更。チームは怪我人や移籍した朴智星の穴を埋められず低迷、再びJ2に降格した。このシーズンは、途中から監督に就任したピム・ファーベーク監督の下ではセンターバックで起用されることも多かった。2度目のJ2となった2004年、シーズン当初はレギュラーとして起用されていたが第2クール以降はポジションを失い、サブにすら入れないことも多かった。J1昇格も逃し苦いシーズンとなったが、シーズン終盤に調子を取り戻したことで翌年への期待を感じさせた。 副キャプテンに就任し迎えた2005年は石井俊也、米田兼一郎らボランチの選手が新加入し、チーム内での争いも激しくなったが、開幕からまさに大黒柱といえる活躍で不動のレギュラーを獲得。この年、J1昇格を達成した京都の躍進を支えた。2006年も攻守の要として奮闘したが、チームは1年で降格してしまった。この年はキャプテンマークを巻く事も多かった。 2007年はキャプテンにも任命され、48試合全てに出場し、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。 2008年7月、ベガルタ仙台へ期限付き移籍。高校の2年後輩に当たるGK林卓人(コンサドーレ札幌より期限付き移籍)とチームメイトに。同年シーズン終了後、仙台への完全移籍が発表された。 2009年夏頃から調子を崩し、長く試合に出られない日々が続いたが、翌2010年8月、千葉直樹の負傷により先発出場の機会を得ると、リーグ戦15試合ぶりの勝利に大いに貢献。これ以降レギュラーに復帰。 2011年7月5日、徳島ヴォルティスに完全移籍で加入。移籍以後の全リーグ戦に出場し活躍した。2012年、最終ラインに怪我人が続出したシーズン途中よりセンターバックにコンバートされ出場していたが、8月22日の湘南ベルマーレ戦でアキレス腱断裂の大怪我を負い〔斉藤 大介選手の負傷について 〕、以降試合には出られなかった。2013年シーズンはキャプテンに就任。開幕戦は欠場したが先発に復帰し、中盤戦からは本職のボランチでプレー。J1に昇格して迎えた2014年は前年と比べて出場試合数こそ減少したが、21試合に先発出場して苦戦を強いられたチームを支えた。 2016年より栃木SCに完全移籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斉藤大介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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