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斎藤 干城(さいとう かんじょう、明治18年(1885年)12月13日 - 昭和23年(1948年5月18日)は、日本の医師、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍軍医中将。鳥取県米子市長。正四位勲一等瑞宝章。 == 経歴 == 鳥取県米子市尾高町に生まれた。開業医斎藤勇夫の長男。 米子中学(現在の米子東高校)を経て大正元年(1912年)九州帝国大学医学部卒業後、熊本歩兵第13連隊軍医に任官。昭和3年(1928年)、浜田陸軍病院長に就任。昭和5年(1930年)3月、一等軍医正(大佐相当官)に昇進し豊橋陸軍病院長となる。昭和6年(1931年)8月、名古屋陸軍病院長に異動。昭和7年(1932年)12月、久留米第12師団軍医部長となり、第3師団軍医部長に転じた。昭和9年(1934年)12月、軍医監(少将相当官)に進級。昭和10年(1935年)8月、第5師団軍医長に就任し、さらに昭和13年(1938年)3月、関東軍軍医部長へ転じた。 昭和14年(1939年)3月、陸軍軍医中将に任官。同年12月に待命、そして予備役編入となり米子市富士見町で外科医院を開業した。 昭和18年(1943年)、第2代米子市長に推挙され、混乱した戦中および戦後の一時期の市政を担当し、米子医専を誘致し設立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤干城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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