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斉藤斐 : ミニ英和和英辞書
斉藤斐[さいとう あきら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

斉藤斐 : ウィキペディア日本語版
斉藤斐[さいとう あきら]
斉藤 斐(さいとう あきら、1855年6月28日安政2年5月15日) - 1938年昭和13年)12月9日)は、日本政治家実業家。元衆議院議員
== 概要 ==
1855年安政2年)に下総国相馬郡守谷町(現:茨城県守谷市)に生まれる。斉藤家は江戸時代の下総国関宿藩領のうち10ヶ村の惣名主を務めた家〔守谷町史(守谷町)〕で、先祖に小林一茶に学んだ俳人斉藤徳左衛門(俳号「若雨」)、弟に文学博士である斉藤隆三がいる。
1859年(安政6年)頃より守谷町愛宕の私塾で木村正之に学び、1866年慶応2年)より親戚の中山家に移り、後に東京帝国大学教授になる漢詩人の信夫恕軒や、木戸栄伯、盛岡栄三郎に学んだ。これらの過程で西洋文化志向を強く持つようになり、2、3の英学塾を経て、慶應義塾に学んだ。また、1878年(明治11年)に守谷町に守谷郵便局を設置するなど、郷里の発展に寄与した。
自由民権運動の高まりと共に運動に身を投じ、1880年明治13年)2月25日には同舟社の呼びかけに応じる形で、筑波山会議には改進社の有志として参加した。1881年(明治14年)には北相馬郡から県会議員として選出し、計4回選出、1892年(明治25年)には第2回衆議院議員総選挙に出馬して当選し、計3期に渡り衆議院議員として国政に参加した。政界を引退した後にも、農工銀行の設立委員に選ばれ、取締役を経て1900年(明治33年)4月に頭取に就任し、以降1933年(昭和8年)まで務めた。また、1924年大正13年)には、政府の1県1銀行政策による合併問題に対し、茨城県の合同促進委員として合同に関する一切の交渉を任され、1935年(昭和10年)には郷里守谷にも店舗を置く常陽銀行の基礎を築いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斉藤斐」の詳細全文を読む




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