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斉藤米二郎 : ミニ英和和英辞書
斉藤米二郎[さいとう よねじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [に]
  1. (num) two 

斉藤米二郎 : ウィキペディア日本語版
斉藤米二郎[さいとう よねじろう]
斉藤 米二郎(さいとう よねじろう、1929年 - 2005年12月ごあいさつ 相原房江 2006年8月〕)は、日本の映画プロデューサー、小説家。
==来歴==
1946年(昭和21年)、大映東京撮影所に入社、「宣伝課」に配属される。
1963年(昭和38年)、風俗小説『しわんつ』を執筆。同年、大映で『温泉芸者』(富本壮吉監督)として映画化され、以後、『温泉シリーズ』としてシリーズ化され、シリーズ作品すべての企画を担当する。
1964年(昭和39年)、大映東京撮影所付の企画者となる。『』(増村保造監督)、『ど根性物語 銭の踊り』(市川崑監督)を企画。
1965年(昭和40年)、大映京都撮影所市川雷蔵主演の任侠映画『若親分』(池広一夫監督)、『鼠小僧次郎吉』(三隅研次監督)、大映東京撮影所で大映初の怪獣映画『大怪獣ガメラ』(湯浅憲明監督)を企画。『若親分』、『大怪獣ガメラ』両作品ともシリーズ化され、『若親分シリーズ』すべての企画を担当。
1966年(昭和41年)、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(田中重雄監督)を企画。
1967年(昭和42年)、日ソ合作映画『小さい逃亡者』(衣笠貞之助監督)を企画。この映画でソ連の映画人との交流を深める。江波杏子主演の『女賭博師』(弓削太郎監督)を企画、江波の代表作となり、以後『女賭博師シリーズ』としてシリーズ化され、シリーズ作品すべての企画を担当。
1968年(昭和43年)、『あるセックス・ドクターの記録』、『ある女子高校医の記録 妊娠』(弓削太郎監督)、『フリーセックス 十代の青い性』(井上芳夫監督)といったエロチック映画を企画。『セックス・ドクター』、『ある女子高校医の記録』はシリーズ化され、シリーズ作品すべての企画を担当。
1968年(昭和43年)、『ダンプ・ヒップ・バンプ くたばれ野郎ども』(帯盛迪彦監督)、『高校生芸者』(弓削太郎監督)を企画。
1970年(昭和45年)、『高校生番長』、『十代の妊娠』(帯盛迪彦監督)を企画。
1971年(昭和46年)、『樹氷悲歌』(湯浅憲明監督)、『十七才の成人式』(岡崎明監督)、『穴場あらし』(太田昭和監督)、『悪名尼』(田中重雄監督)、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』、『成熟』(湯浅憲明監督)を企画。この年11月に大映が倒産する。
1977年(昭和52年)、「日ソ芸術愛好協会」を設立。
1979年(昭和54年)、株式会社「日本芸術企画」を設立。
社団法人「日本映画テレビプロデューサー協会」功労会員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斉藤米二郎」の詳細全文を読む




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