|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 斎 : [とき] 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband
斎藤信夫(さいとう のぶお)は、1911年(明治44年)3月3日千葉県の南郷村(後:成東町、現:山武市)五木田に生まれ、小学校の教諭をしながら童謡の創作を続けた童謡作詞家である。終戦を境に神州不滅の皇国史観教育をしてきた自分を反省し、教職を辞めてしまうという気骨を持った人物であったが、童謡を通じ子供や動物を見る目は暖かかった。終戦直後に発表された童謡「里の秋」を作詞したことで知られ、生涯の詩作は1万余篇におよぶ。勲五等双光旭日章を受勲。 ==経歴== 1911年 (明治44年) 3月3日千葉県山武郡南郷村 (現:山武市) 五木田に生まれる。 1930年 (昭和5年) に千葉師範学校 (現:千葉大学教育学部) 第2部に入学し、1931年 (昭和6年) に卒業して小学校に奉職する。1936年 (昭和11年)、25歳の時に1年間休職して千葉師範学校の専攻科へ進んだ〔。1940年 (昭和15年) 3月より終戦の年まで、葛飾町 (現・船橋市) の葛飾町立葛飾尋常小学校で訓導を務める〔「池田小百合なっとく童謡・唱歌」による。〕。教職のかたわら独学で詩作に取り組みながら教材雑誌に投稿を続けるうち、雑誌で作曲家海沼實の存在を知り、海沼とは面談をしたのちに手紙を交わした。1941年 (昭和16年) 12月の日米開戦で愛国心が高揚すると、一気に書き上げた詩の数編より『星月夜』を海沼ほかに郵送したものの、返事はなかった。 1945年 (昭和20年) の12月、海沼實に依頼されて改作した『星月夜』は、『里の秋』と改題してラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后〈ごご〉』〔で放送。翌年3月に教職を離れ、1947年 (昭和22年) に中学校の教壇に復する。 ふたたび教職についたあとも作詞と詩の研究を続けており、童謡の研究会を主宰して1954年 (昭和29年)に月刊同人誌「花馬車」〔公益財団法人花と緑の農芸協会 http://hananozaidan.or.jp/tan51_6.html〕を、翌1955年 (昭和30年) に幼児童謡研究誌「三輪車」を創刊する〔。「三輪車」は55歳で定年退職した1967年 (昭和42年) に、また「花馬車」は1986年 (昭和61年)にそれぞれ終刊。1987年(昭和62年) 9月20日死去。享年76。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤信夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|