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斎藤元信 : ミニ英和和英辞書
斎藤元信[さいとう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

斎藤元信 ( リダイレクト:斎藤徳元 ) : ウィキペディア日本語版
斎藤徳元[さいとうとくげん]
斎藤 徳元(さいとうとくげん、永禄2年(1559年) - 正保4年8月28日1647年9月26日))は、安土桃山時代江戸時代初期の美濃国出身の武将俳人。豊臣姓。名を元信。また辰遠とも。通称は斎宮、号に帆亭。斎藤元忠の子。元忠の母は斎藤義龍の妹とあるので、斎藤道三は曾祖父に当たる。父元忠から、織田秀信の代官で、富加町加治田村地域の領地を掌していた。
== 生涯 ==
俳諧松永貞徳に、連歌里村昌琢に学ぶ。織田信長に仕えて2千石を領した。本能寺の変以後は織田秀信に仕えて墨俣城主となる。また豊臣秀吉馬廻として文禄元年(1592年)の文禄・慶長の役に際し肥前国名護屋城に在陣した。関ヶ原の戦い時には秀信が立て籠もる岐阜城の落城寸前に城を脱出、戦後秀信が改易されたために浪人となった後は加治田村に逃れてきたが、村民(加治田衆)が徳川家康をはばかって止まることを許さなかった。一時若狭(福井県)の京極忠高のもとに身を寄せ、次いで江戸浅草を居とする。
寛永2年(1625年)、高野山の秀信の墓を訪れて歌を詠んだ。連歌俳諧に優れ、江戸の地に於いて和歌の教授者となり、『俳諧初学抄』『伊豆走湯俳諧』『独吟千句』等を著わした。『俳諧初学抄』は江戸で出版された最初の俳書である。諸説あるが祖母は明智光秀の伯母と伝える。一族に春日局がおり、彼女から酒を送られたことが自撰集『塵塚俳諧集』に見える。正保4年(1647年)、89歳で没す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤徳元」の詳細全文を読む




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