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斎藤史 : ミニ英和和英辞書
斎藤史[さいとうふみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

斎藤史 : ウィキペディア日本語版
斎藤史[さいとうふみ]
斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年明治42年)2月14日 - 2002年平成14年)5月26日)は、日本歌人東京都四谷生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。
==経歴==
父は、陸軍少将佐佐木信綱主宰の歌誌「心の花」所属の歌人でもあった齋藤瀏。父の瀏は「史子」と出生届を提出したが戸籍係が間違えて「史」と登録してしまった。17歳のとき若山牧水に勧められて作歌をはじめ、18歳から「心の花」に作品を発表するようになる。1931年前川佐美雄らと「短歌作品」創刊。
1936年二・二六事件では、父を通じて親交があった青年将校の多くが刑死し、父も事件に連座して禁固5年となる。この経験が、生涯に渡っての文学的テーマ〔工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件と軍師齋藤瀏』(日本経済新聞出版社、2008年/ちくま文庫、2010年8月)に、詳しい。〕となる。青年将校の、栗原安秀・坂井直 両中尉とは、旭川時代からの幼馴染であり、栗原の事は「クリコ」と呼んでいた。また栗原は彼女を「フミ公」と呼び、改まった席では「史子さん」と呼んでいた。

1939年、父・瀏が主宰する歌誌「短歌人」創刊に参加する〔なお齋藤瀏は、東京堂で、編著『防人の歌』と『歌集 四天雲晴』を、人文書院で編著『萬葉名歌鑑賞』と『歌集 波濤』を刊行。1945年には、八雲書店で『光土 新日本歌集』を刊行した。〕。1940年、伝説的な合同歌集「新風十人」(八雲書林)に参加〔参加者は、斎藤史のほかに、筏井嘉一、加藤将之五島美代子佐藤佐太郎、館山一子、常見千香夫、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄。なお1998年に石川書房より、文庫版で復刻刊行された。〕。同年、第一歌集『魚歌』を発表。モダニズムの影響が濃い作風で、萩原朔太郎に激賞される。1945年、父の故郷である長野県安曇野に疎開、同年復刊した『文藝春秋』誌(10月号)の歌覧〔『昭和20年の文藝春秋』(文春新書、2008年)、10月号の章に記載。〕に掲載された。以後定住し同地を拠点に活動する。1953年、「短歌人」編集委員制度導入に伴い初代編集委員となる。1962年、「短歌人」を退会し歌誌「原型」を創刊。赤座憲久轟太市百々登美子など選歌を受けていた歌人がそれに従って移籍した。晩年の弟子には目黒哲朗などがいる。また晩年の江藤淳と交流があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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