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斎藤 宇一郎(さいとう ういちろう、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 大正15年(1926年)5月10日)は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→革新倶楽部)、農業指導者。三男の憲三はTDKの創業者。 == 経歴 == 出羽国由利郡平沢町(現在の秋田県にかほ市)に斎藤茂介の子として生まれる。生家は旗本仁賀保氏の家老格の家柄であった〔『秋田』163-188ページ〕。1890年(明治23年)、帝国大学農科大学を卒業し、一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入隊した〔『新選代議士列伝』203ページ〕。1892年(明治25年)、予備役陸軍少尉に任ぜられ、翌年に後備役となった〔。日清戦争がおきると召集され、海城まで従軍し、中尉に昇進した〔。1896年(明治29年)より農商務省に勤務し、翌年に林務官となるが、1898年(明治31年)に依願免本官〔。1899年(明治32年)、父茂介の死で帰郷。翌年、平沢町農会長・平沢郵便局長に就任した。 帰郷後、農村改良に尽力し、乾田馬耕・自給肥料・暗渠排水などを導入することで、生産性を高めることに成功した〔。 1902年(明治35年)、陸軍大尉に昇進し、郵便局長を辞任。同年の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、8回連続当選を重ね、1924年まで在職した。その間、秋田県農会副会長、横荘鉄道株式会社社長などを歴任した〔『衆議院要覧』〕。 議員引退後は平沢町長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤宇一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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