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斎藤 守弘(さいとう もりひろ、1932年7月7日 - )は日本の科学評論家、SF作家、超古代文明研究家。60年代、自分では前衛科学評論家という肩書きを名乗った。 日本考古学会会員、日本天文学会会員。超歴史学研究会理事。 ==経歴== 東京府北豊島郡三河島町(現・東京都荒川区)出身〔『SFマガジン』1964年8月号。〕。父は九州帝国大学(現・九州大学)農学部助手、母方の一族は三河島の大地主〔。第一峡田小学校(現・荒川区立峡田小学校)5年生の時、福島県伊達郡梁川町(現・伊達市)に疎開〔。中学校1年生の時に敗戦を迎えて東京に戻り、東京都立上野中学校(現・東京都立上野高等学校)に入る〔。当時、米国への復讐として原子破壊機の発明を誓い、物理学の本を読みあさっていた〔。のち、東京教育大学で素粒子論を専攻。卒業後、会社役員を経験。 日本空飛ぶ円盤研究会の例会で星新一を始めとする日本SF界草創期の立役者たちと知り合い、『宇宙塵』誌に第一期会員として参加。 1963年3月5日、東京都新宿区の料理店にて、石川喬司・小松左京・川村哲郎・斎藤伯好・半村良・福島正実・星新一・森優・光瀬龍・矢野徹と共に日本SF作家クラブを結成(だが、現在は、メンバーではないので、いずれかの時期に脱退したと思われる〔脱退の理由について、伊藤典夫は『日本SF作家クラブ40年史』のp.19で「不動産で失敗したかなんかで新聞ダネになって消えちゃった」と語っている。〕)。 豊富な科学知識を武器に、1960年代から1970年代にかけ、科学解説者としてテレビやラジオにレギュラー出演し活躍した。 1967年の筒井康隆の短篇小説「ベトナム観光公社」にはサイトラ・モリチャロスキイ+(プラス)の名前で登場。筒井は、自作の漫画の中に科学解説者として守弘を登場させたこともある(『筒井康隆全漫画』奇想天外文庫、1976年)。1970年の手塚治虫の短篇漫画「ドオベルマン」には実名で登場している。 『SFマガジン』1968年2月号の座談会「新春SF放談会 SF人がこう評価する」では「最近のSFには発見性がない」と発言して物議をかもした。 1970年代にはジュニア向けのオカルト系、超科学系の書籍を多数発表。明らかに嘘、捏造である記事を、検証もしないまま書きまくり、オカルト・ブームに大きな影響を与えた。 1980年代には学研の『ムー』誌に何度か登場している。 近年は、超古代史に傾倒し超古代文明の存在などを信奉、超歴史学研究会理事を勤める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤守弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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