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斎藤實 : ミニ英和和英辞書
斎藤實[さいとう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

斎藤實 ( リダイレクト:斎藤実 ) : ウィキペディア日本語版
斎藤実[さいとう まこと]

斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實1858年12月2日安政5年10月27日) - 1936年昭和11年)2月26日)は、日本海軍軍人政治家階級海軍大将位階従一位勲等大勲位。功級は功二級爵位子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。は皋水(こうすい)。
海軍大臣第一次西園寺第二次桂第二次西園寺第三次桂第一次山本の5内閣でつとめた後、ジュネーブ海軍軍縮会議の主席全権を挟んで朝鮮総督を2期つとめた。五・一五事件のテロ後の混迷した政局を内閣総理大臣第30代)として安静化させ、当時としては長い2年1か月の政権を保った。その後内大臣となって宮中にまわったが、直後に二・二六事件で射殺された。
== 来歴 ==

=== 生い立ち ===
仙台藩水沢城下(現在の岩手県奥州市水沢区)に、当地を地方知行により治めていた水沢伊達氏に仕える藩士・斎藤軍記(耕平)高庸の子として1858年(安政5年)に生まれた。幼名は富五郎。
『子爵斎藤実伝』によれば、斎藤氏の始祖とされる斎宮頭藤原叙用の五世孫の竹田四郎頼基の子孫一族から鎌倉幕府奉行人が多く出ている。斎藤又四郎基長が鎌倉陥落の後に奥州へ赴き留守氏(後の水沢伊達氏)の配下となり、留守氏の居城であった岩切城がある宮城郡岩切邑(現・宮城県仙台市宮城野区岩切)に居住したのが初祖とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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