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斎藤 智也(さいとう ともや、1963年6月1日 - )は福島県福島市出身の高校野球指導者。福島県立福島高等学校、仙台大学卒業。聖光学院高等学校保健体育科教諭。同校野球部監督。 == 来歴・人物 == 福島高校時代は投手兼外野手として活躍。現埼玉西武ライオンズスカウトの鈴木哲は同期。 1987年に、聖光学院高等学校教諭、同校(以下聖光学院)野球部部長に就任。現役時代は福島県立磐城高等学校のエースとして、甲子園準優勝に導いた田村隆寿(安積商、磐城、聖光学院元監督)に師事。 1999年9月に、聖光学院野球部監督に就任。 2001年夏に、聖光学院野球部監督として、監督としても聖光学院野球部としても春夏を通じて初の甲子園出場を果たす〔甲子園への切符を懸けた福島県大会決勝日大東北戦、1点差の土壇場9回裏に同点に追い付くも、延長11回表に4点を奪われ敗戦濃厚となってしまう。しかし、その裏の11回裏に5点を奪い、壮絶な逆転サヨナラ勝ちにより甲子園初出場を決めた。しかし甲子園大会では初戦で大分明豊に0-20の大敗。この大敗がその後の野球部の躍進に繋がったと言われている。〕。 2004年夏には、聖光学院野球部を率いて2度目の甲子園出場。この2度目の甲子園となった第86回全国高等学校野球選手権大会では2勝してベスト16に入り、1995年から9年間続いていた、福島県代表の全国高等学校野球選手権大会での初戦敗退を止め、福島県の高校野球の歴史にも大きく貢献した。 2008年夏には、監督としても聖光学院野球部としても初の、また、全国高等学校野球選手権大会では福島県勢33年ぶりとなる甲子園ベスト8入りを果たす。 2010年5月22日、第62回春季東北地区高等学校野球福島県大会準々決勝で日大東北を破り、この勝利で学法石川が持つ福島県内公式戦最多連勝記録42連勝を塗り替える43連勝を達成する〔2013年の秋季福島県大会準決勝にて日大東北に敗れ記録が途絶えるも95連勝まで記録を伸ばした。〕。 2011年には第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表のコーチに就任する。 甲子園出場回数は、2014年現在で春の選抜高校野球大会には計4回〔2007年、2008年、2012年、2013年〕、夏の全国高校野球選手権大会には計11回〔2001年、2004年、2005年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、2014年〕で、そのうち2008年夏、2010年夏、2013年春、2014夏にベスト8と、福島県の高校野球指導者の中で、全国でもっとも通用する指導者だとの声が多い。 信念・モットーは不動心、一燈照隅、下剋上、すべての事を受け入れられる広い心を養うことによって、人や物に感謝できる選手の育成。 指導上の留意点は、意識の高揚とその維持、チームの連帯感、一体感。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤智也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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