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斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980年5月8日)は、俳人。本名・俊彦。北海道函館市春日町(現・ 青柳町)に生まれる。父は咀華と号した画家であったが、4歳のときに死別した。早稲田大学商科卒。大学在学中、「京大俳句」に参加し西東三鬼に師事。当初は三樹雄と号した。1938年、北海道銀行に入社。1940年、郷里で「壷」を創刊するが、4年後に休刊。1943年、石田波郷を知り、俳号を玄に改めて「鶴」に投句、のち同人。戦後は銀行員としての多忙な生活のため句作を中断。1967年に銀行を退職し、北海道央信組の専務理事に就任。翌年に個人誌「丹精」を発刊。妻の癌死を題材にした「クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻」と題する句群によって俳壇に復活し注目される。1973年「壷」を復刊。1979年、第5句集『雁道』で第14回蛇笏賞。他の句集に『舎木』『玄』『無畔』など。晩年は癌との闘病の中、自身の死を見つめる透徹した句を作った。代表句に「明日死ぬ妻が明日の炎天嘆くなり」「たましひの繭となるまで吹雪きけり」などがある。1980年直腸癌により死去。66歳。 == 参考文献 == *齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年 *冨田拓也 「俳句九十九折(33) 俳人ファイル ⅩⅩⅤ 齋藤玄 」 ―俳句空間―豈weekly、2009年4月25日(2014年5月11日閲覧) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤玄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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