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斎藤磯雄 : ミニ英和和英辞書
斎藤磯雄[さいとう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [いそ]
 【名詞】 1. beach 2. shore 3. seashore 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

斎藤磯雄 ( リダイレクト:齋藤磯雄 ) : ウィキペディア日本語版
齋藤磯雄[さいとう いそお]

齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は山形県庄内出身の仏文学者
==経歴==
山形県東田川郡清川村生まれ。戸籍上は4月26日生まれ。実家は大庄屋格。幼少時より漢籍と文語体聖書に親しんで育つ。
旧制酒田中学校在学中から仏文学を志す。辰野隆の教えを受けるつもりで、1929年法政大学予科に入学。当時既に辰野は法政を退職していたために望みは果たせなかったが、戦後初対面した折にボードレール『悪の華』の完訳を激賞された。法政で豊島与志雄漢詩人阿藤伯海(あとう・はくみ)に師事。同級に安藤鶴夫と近藤光治がおり、「三藤」と称して親しく交際した。在学中からプルーストヴィリエ・ド・リラダンを翻訳して発表。1934年法政大学仏文科卒業したが、1953年までいかなる職も持たず、実家から仕送りを受けつつ、ヴィリエ・ド・リラダンボードレール、及びそれらに関連するフランス音楽の研究に没頭した。
1950年に、かねてより私淑していた日夏耿之介を訪問し、以後親交を結ぶ。1953年日夏耿之介阿藤伯海佐藤正彰の世話により明治大学文学部非常勤講師となる。1956年から明治大学文学部専任講師1962年から1983年まで明治大学文学部教授を務めた(教授を定年退職した後は没年まで非常勤講師として勤務)。交遊関係も幅広く、詩人・フランス文学者窪田般彌宇佐見英治、哲学者矢内原伊作、画家堀内規次(肖像画がある)などと親交があった。
1938年初刊の『残酷物語』(三笠書房)に始まるヴィリエ・ド・リラダンの翻訳は三島由紀夫が激賞した〔三島由紀夫著『文章読本』(中公文庫ほか)収録の「翻訳の章」より。三島の年少時の愛読書だった。なお、三島は1968年に生涯一度だけ齋藤に面会した。『齋藤磯雄著作集 第4巻』収録の日記(抄)にその記載がある。〕。改訳や推敲を経て『ヴィリエ・ド・リラダン全集』(全5巻、1974年1976年)に至った。齋藤の訳業から影響を受けた澁澤龍彦は、齋藤の文体を「自国語を鍛えに鍛えて、外国作家の思想の良導体たらしめた」「みごとに『経済の法則』に合致した、短い、凝縮された、簡潔な文体」と称讃した〔澁澤龍彦著「思想の良導体-齋藤磯雄氏の翻訳について」(初出はバベルプレス刊『翻訳の世界』1980年4月号。青土社刊『城と牢獄』、白水社刊『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』、河出書房新社刊『澁澤龍彦全集17』、河出文庫所収『澁澤龍彦日本作家論集成』に収録)。なお、澁澤自身は齋藤とは終生面識が無く、齋藤が肺癌で死去した葬儀後に遺族宅を訪問している。澁澤の遺著『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(立風書房、1990年)収録の「お目にかかっていればよかったの記 齋藤磯雄追悼」より。〕。また、齋藤は戦後の国語改革による日本語表記を「雲助文法馬丁文字」と呼んで憚らなかった〔『齋藤磯雄著作集 第4巻』(東京創元社1993年)p.292参照。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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