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斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年 - 1940年)は、日本の方言研究者、エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 == 生涯 == 山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市)に生まれる。駒澤大学を1931年に卒業後、山形県の職員としての教員となり、小学校教員を務めていたが、軍国主義教育に批判的であったことと、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、鶴岡警察署に1度目の逮捕。4日後に釈放されるも、この逮捕を理由に1932年に解雇された〔荘内日報社「郷土の先人・先覚 162 言語差別に真っ向批判 斎藤秀一 〕。 教員時代から、国語国字論、方言研究、中国の文字改革運動の紹介、ローマ字運動、エスペラント運動などに関わり、その後も自宅で携わる。1934年には言語問題の雑誌『文字と言語』を発行し、ローマ字論の田中館愛橘、方言論の東条操などの寄稿を得た。また1937年には全文エスペラントの雑誌Latinigo(ラティニーゴ、意味は「ローマ字化」)を刊行し、中国、インドシナ、インドネシアなどのアジアのローマ字運動の論考を集めた。しかし、国外との文通、反戦傾向の言動ゆえ、1938年に治安維持法違反で2度目の逮捕となり、その後肺を病み、釈放後の1940年に病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤秀一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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