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斎藤美津子(さいとう みつこ、1925年1月27日 - 2004年2月29日)は日本のコミュニケーション学者、同時通訳(養成)者。国際基督教大学名誉教授。専門は異文化コミュニケーション論、コミュニケーション教育、一般意味論。夫は元衆議院議員の福永一臣。父は元東京銀行監査役斎藤保義、弟は元毎日新聞社会長斎藤明。 ==経歴== 京都市生まれ。東京銀行の前身である横浜正金銀行に就職していた父親の海外勤務で幼少期を7年間上海で過ごす。1945年東京女子大学英語専攻部卒業。1950年イリノイ州シカゴにあるノース・パーク大学(North Park University)に留学しスピーチ学に関心を持つ。〔斎藤(福永)美津子・千葉 眞・新津 晃一「斎藤(福永)美津子先生退任記念座談会」『社会科学ジャーナル』(国際基督教大学学報II-B)1992年3月、第30巻第3号、pp. 205-226。〕 ノースウェスタン大学(Northwestern University)大学院スピーチ学研究科に進学し、1953年修士課程修了(M.A.)、1957年博士課程修了(Ph.D.)。〔Mitsuko Saito, ''Speech Education in Japan in the Latter Half of the 19th Century'', Unpublished Doctoral Dissertation, Northwestern University, Evanston, IL, 1957, p. 331.〕 一般意味論の大家であるアーヴィング・J・リー(Irving J. Lee)博士に師事し日本人の女性で初めてコミュニケーション学の博士号を取得。〔斎藤美津子「一般意味論の現代性」『言語』(特集―ことばの暴力)1977年11月、第6巻第12号、pp. 51-58。〕〔Gregory Sawin (Ed.), ''Thinking and Living Skills: General Semantics for Critical Thinking'', Concord, CA: International Society for General Semantics, 1995, p. 244.〕 1957年から1992年まで国際基督教大学教養学部国際関係学科で教鞭をとり、外国人と日本人のコミュニケーション様式の比較研究等に従事すると同時に、会議通訳者の育成に尽力した。1986年株式会社コミュニケーターズを創立。国際一般意味論学会理事や文部省教科書検定審議会審議委員なども務めた。また、日本コミュニケーション学会創設時には様々な研究者と活発に交流し、大会での基調講演などを通じて多年にわたり学会に協力した。〔北出 亮「斉藤美津子先生特別追悼企画」日本コミュニケーション学会編『第34回年次大会プログラム アジアと日本―新たなコミュニケーションの構築に向けて』日本コミュニケーション学会、2004年、pp. 5-6。〕 1966年には國弘正雄と共同でエドワード・ホールの名著『沈黙のことば』(''The Silent Language'')を日本語訳して南雲堂より刊行した。また、1972年に『甘えの構造』の土居健郎や『タテ社会の人間関係』の中根千枝などを招き、米国のスピーチ・コミュニケーション学会(Speech Communication Association)と共催で、異文化コミュニケーションに関する国際会議を東京で開催した。〔石井 敏「日本における異文化コミュニケーション研究・教育―歴史、現状、そして展望と課題」石井 敏・久米昭元編『異文化コミュニケーション事典』春風社、2013年、p. xxi。〕 続いて、国際基督教大学創立25周年にあたる1976年には、「文化の違いを超えたコミュニケーション―人間的責任の再検討」と題した国際シンポジウムを企画し、ウィルバー・シュラムや加藤秀俊などの著名な専門家を国内外から招致した。〔「異文化間の交換を検討―ICU国際シンポジウム」『朝日新聞』(夕刊)1976年1月31日、p. 5。〕 教え子にサンフランシスコ州立大学教授であった今堀義などがいる。 現コミュニケーターズ代表取締役の平岡貴子によると、斉藤は「コミュニケーションを人と人との心の温かさの交換」と定義し、「通訳者は言葉のスペシャリストでなく、コミュニケーションのスペシャリストでなくてはならない」というのが持論だった。〔平岡貴子「コミュニケーション・スペシャリストたること―斎藤美津子博士の理念」『株式会社コミュニケーターズ―私たちの考え』( http://www.communicators.co.jp/mission/index.html )。〕 また、「私たちは宇宙地球村に属する一員だという認識を持ち続けて、今こそ異文化間コミュニケーションの問題ときめ細かく取り組んでいくべき」と力説していた。〔斉藤美津子「異文化とコミュニケーション―同じ地球の一員という認識を持って」『朝日新聞』(夕刊)1976年3月30日、p. 5。〕 日本におけるコミュニケーション学の確立と発展に大きく貢献したことから、「コミュニケーション学の日本のファーストレディ」や「日本のコミュニケーション学の母」と称された。〔John C. Condon and Fathi S. Yousef, ''An Introduction to Intercultural Communication'', New York: Macmillan, 1975, p. xii. 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤美津子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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