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齋藤 茂樹(さいとう しげき、1961年 - )は、日本の実業家。エス・アイ・ピー株式会社代表取締役社長、日本ベンチャーキャピタリスト協会理事、日本MITエンタープライズ・フォーラム理事、デジタルハリウッド大学大学院教授。 == 来歴・人物 == 東京都渋谷区生まれ。開成高校、東京大学経済学部経済学科卒業。伊藤元重ゼミ(応用ミクロ経済学・国際経済学)、藤原正寛ゼミ(公共経済学)。 1985年、民営化第1期生として日本電信電話に入社。下関支店に配属、関西データ通信事業部(現株式会社エヌ・ティ・ティ・データ関西)の研修を経て、1886年企業通信システム事業部に配属。製造業界を担当し、ソニー株式会社のアカウントマネージメントを担当。ソニー国内のグループデジタル統合ネットワークの構築、品川本社エリアのNTTと東芝の共同開発の分散型デジタルPBX BX3000を核とした社員2万人を対象にしたWANシステムの販売・導入を担当。1992年本社営業企画部の料金担当として割引料金システム「テレワイズ」、VPNサービス「メンバーズネット」の料金ロジック作成・認可申請業務を担当。1994年退社。 1995年からマサチューセッツ工科大学スローン・スクール・オブ・マネージメントに留学。ベンチャートラックに属し、MIT Entrepreneurship CenterのDr. Ken Morseの教えを受ける。サマージョブでは、サンフランシスコのハイテク・インベストメントバンク Robertson Stephen & Co. で勤務。 1997年のMBA取得後は、Netscape Communications のInternational Web business team にて日本におけるブラウザーマーケティング、電通のサイバーアドチームをパートナーとした広告クライアントの開拓を担当。マイクロソフトのIE4.0による追い上げを受け、世界規模のリストラクチャリングを乗り越え、Netcenterによるポタール戦略とサーバービジネスに戦略をシフト、AOLと合併まで在籍。 1999年、インターネットベンチャーのデジタルガレージに取締役副社長として入社。COOとして、Infoseek検索エンジン事業をディズニーグループに事業売却したあとに、ローソンに対するコンビニンスストアーをプラットフォームにした決済システム・物流システムなどを提案・構築。大企業に対してインターネットの新規事業をコンサルテーションし、システム構築し、広告・マーケティングを提供するStrategic Internet Providerという事業分野の先駆企業として、スポンサード・インキュベーションという手法を確立し、同社は2000年12月にJASDAQ市場にてIPOを果たす。公開後は代表取締役COOとしてカカクコムへの経営参画ほかグループ全体の経営に携わる。 1996 年から株式会社日本デジタル・コンバージェンスでVCファンドをJAFCO1期生、つばさハンズオンキャピタル株式会社初代社長(現UAハンズオンキャピタル株式会社)の白川彰朗とともにデジタルコンバージェンスファンドを設立。その後、金融商品取引法の施行を機に1997年実父である齋藤篤の設立・経営するエス・アイ・ピー株式会社にファンドの無限責任組合員の権利譲渡により、経営参画。エス・アイ・ピー株式会社では、アーリーステージのベンチャー企業に対して、販売チャネルの開拓・拡大を大手企業との提携を斡旋することによって黒字化しIPOまで成長させるハンズオン投資を実施。 投資分野としては、ハイテク・インターネット・エレクトロニクス分野を中心に、クリーンテック、アグリビジネス分野。また、日本企業の商品・サービスをアジアのエマージング・マーケットに販売するクロスボーダー・ハンズオン投資によるグローバル・ベンチャーキャピタルを手掛けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「齋藤茂樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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