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斎藤 邦唯(さいとう くにただ、1929年11月17日 - )は、日本の俳優、映画プロデューサーである〔キネ旬, p.137.〕〔''斎藤邦雄''(誤記)、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年5月29日閲覧。〕〔''斎藤邦唯''、文化庁、2015年5月29日閲覧。〕〔''斎藤邦唯''、KINENOTE, 2015年5月29日閲覧。〕〔''斎藤邦唯''・''斉藤邦唯''、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。〕〔''斎藤邦唯''・''斉藤邦唯''・''斎藤邦雄''(誤記)、テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。〕。扇映画プロダクション代表〔田中, p.85-86.〕。テレビ映画、テレビドラマの出演者として知られていたが〔〔、映画製作者に転向、渡辺護を監督に抜擢、渡辺のデビューから第9作までを手がけた〔年鑑, p.325-333.〕〔年鑑, p.317.〕〔キネ旬, p.26, 59-60, 69, 86, 93, 107, 115.〕〔渡辺護1931-2013(前) 、井川耕一郎、2014年7月21日付、2015年5月29日閲覧。〕。 別字である''斉''藤 邦唯、誤記である斎藤 邦''雄''でクレジットされたこともある〔〔〔。'斉''藤 邦唯、誤記である斎藤 邦''雄''でクレジットされたこともある〔〔〔。'でクレジットされたこともある〔〔〔。 == 人物・来歴 == === 舞台俳優からテレビ俳優へ === 1929年(昭和4年)11月17日、東京府(現在の東京都)に生まれる〔。本名は同じ〔。 第二次世界大戦初期の1942年(昭和17年)4月に旧制中学校に入学、戦後の1947年(昭和22年)3月に卒業した〔。文学座が巣鴨に附属演劇研究所を開校した1949年(昭和24年)〔文学座とは 、文学座、2015年5月29日閲覧。〕、同劇団に入団する〔。同年に入団した俳優に高木均〔高木均 、コトバンク、2015年5月29日閲覧。〕、同じく文芸部員には矢代静一〔矢代静一 、コトバンク、2015年5月29日閲覧。〕がいた。その後、同団を退団して島田正吾・辰巳柳太郎の新国劇に移籍、次いで、演劇畑を歩んできたが、竹井諒(1901年 - 1970年)が1949年に設立した綜芸プロダクションに移り、映画界に転向した〔。当時の同プロダクションの作品は、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』を中心とした時代劇・剣戟映画が中心であった〔1951年 公開作品一覧 216作品 、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。〕〔1952年 公開作品一覧 287作品 、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。〕〔1953年 公開作品一覧 321作品 、日本映画データベース、2015年5月29日閲覧。〕。その後、1954年(昭和29年)に製作を再開した日活に入社する〔。この時代の出演作についての資料は残っていない〔〔〔〔〔〔。 1957年(昭和32年)には、日本テレビ放送網が16mmフィルムとVTRを駆使して製作し、日本で初の刑事ドラマとされる『ダイヤル110番』〔日テレ, p.114.〕に出演した〔。次いで同年10月7日に放送を開始した朝丘雪路の主演作『すいれん夫人とバラ娘』に出演〔〔、同作は、渥美清のテレビデビュー作として知られる〔佐藤, p.27.〕。『テレビ大鑑 1958』によれば、同書が発行された1958年(昭和33年)6月20日時点では、衣笠プロダクションに所属しており、東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)に住んでいた旨の記述がある〔。当時の民間テレビ局は、16mmフィルムを媒体として製作するテレビ映画に力を注いでおり、斎藤は、中部日本放送(現在のCBCテレビ)が主体となって中央映画貿易とともに製作、1959年(昭和34年)5月17日に放映を開始したテレビ映画『警視庁鑑識科学シリーズ 決め手』に助演した〔〔中日, p.330.〕。同作の監督の都成潔は東宝〔都成潔 、東宝、2015年5月29日閲覧。〕から、テレビ映画の宣弘社プロダクションと渡り歩いた人物であり〔、2015年5月29日閲覧。〕〔(誤記)、2015年5月29日閲覧。〕、斎藤はさらにフィルムの世界に進んでいった〔〔〔〔〔。 折込広告社(現在のオリコム)が製作し、前年4月1日に放映を開始した連続テレビ映画『まぼろし探偵』が人気を博したため、映画化が決まり、三東映画が製作し、新東宝が配給、1960年(昭和35年)2月14日に公開された劇場用映画『まぼろし探偵 地底人襲来』に「橋本」役で出演した〔〔〔。同作は、テレビ版に引き続き吉永小百合が出演していることでも知られる〔まぼろし探偵 、テレビドラマデータベース、2015年5月29日閲覧。〕〔、2015年5月29日閲覧。〕。同年7月5日からは、連続テレビ映画『アラーの使者』が放映を開始、同作に「宇野刑事」役で出演した〔。同作には、のちに斎藤が製作した渡辺護の監督作『情夫と牝』(1965年10月公開)、『浅草の踊子 濡れた素肌』(1966年1月公開)、『うまず女』(1966年3月22日公開)、『絶品の女』(1966年7月12日公開)に出演した武藤周作が「紅とかげ団四号」役で出演している〔〔、2015年5月29日閲覧。〕。「紅とかげ団一号」役を演じた福島亨は、のちにメトロ芸能社映画部で『女のふくらみ』(監督鶴巻次郎、主演桂奈美、1966年7月公開)を製作した〔、2015年5月29日閲覧。〕。その後、斎藤は、映画の製作スタッフに転向した〔『悶える女子学生』を製作したやつは斉藤邦唯って言って、まだつきあいがありますけど 、井川耕一郎、2013年8月3日付、2015年5月29日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤邦唯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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