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斛律羌挙 : ミニ英和和英辞書
斛律羌挙[こくりつ きょうきょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りつ]
 (n) commandments

斛律羌挙 : ウィキペディア日本語版
斛律羌挙[こくりつ きょうきょ]
斛律羌挙(こくりつ きょうきょ、生没年不詳)は、中国東魏の武将。本貫は太安郡。
== 経歴 ==
斛律謹の子として生まれた。代々部落の首長をつとめる家柄の生まれであった。北魏に仕えて龍驤将軍・武川鎮将となった。爾朱兆の入洛に従って、戦功を挙げた。高歓が爾朱兆を破ると、これに帰順した。東魏の天平年間、大都督に任ぜられ、歩騎3千を率いて西魏の夏州を襲撃して勝利した。高歓に従って沙苑で戦い、高歓が次の進軍先を諸将に訪ねたとき、斛律羌挙は宇文泰に食糧がなく速戦速決したがっていることを指摘し、戦いを避けて咸陽におもむくべきことを主張した。しかし諸将に反対意見が多く、渭曲で戦って東魏の軍は敗れた。
天平末年、潁川の張倹が乱を起こし、西魏と通謀したので、斛律羌挙は都督の侯景高昂らに従ってこれを攻撃して破った。538年、清州刺史に任ぜられ、密県侯に封ぜられた。興和初年、中軍大都督となり、まもなく東夏州刺史に転じた。高歓が懐遠夷を招諭しようとしたとき、斛律羌挙が使者として立ち、阿至羅におもむいて成功をおさめた、36歳で東夏州で死去した。并恒二州軍事・恒州刺史の位を追贈された。
子に斛律孝卿がおり、北斉後主の下で尚書令となった。後に北周武帝に帰順して納言上士となり、開皇年間には太府卿・民部尚書をつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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