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斛斯政[こくし せい] 斛斯政(こくし せい、生年不詳 - 614年)は、中国の隋の軍人。斛斯椿の孫にあたる。本貫は広牧郡富昌県、または河南郡洛陽県。 == 経歴 == 新蔡郡公の斛斯恢の子として生まれた。はじめ親衛となり、後に軍功により儀同の位を受け、楊素に取り立てられた。大業年間、尚書兵曹郎となり、兵部尚書の段文振を補佐した。煬帝に気に入られ、楊玄感兄弟とも交友を持った。段文振の死後、兵部侍郎となった。9年(613年)、煬帝の第二次高句麗遠征のときに楊玄感が反乱を起こすと、斛斯政は楊玄感と誼を通じていたため、追求を恐れて高句麗に亡命した。10年(614年)、煬帝が第三次高句麗遠征の軍を起こし、高句麗が講和を求めると、条件として斛斯政の身柄が隋本国に移送された。斛斯政は金光門の柱に縛りつけられ、公卿や官僚たちの手によって射殺された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斛斯政」の詳細全文を読む
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