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斯波 家兼(しば いえかね)は南北朝時代の武将。斯波高経の同母弟。奥羽斯波氏の祖。 == 生涯 == 斯波氏は足利の姓を公称する御家人で、足利尾張家とも号する名門であった。足利尊氏が倒幕の兵を挙げると兄・高経とともにこれに従い、後に建武政権に叛旗を翻した際も従うなど、足利氏の嫡流である尊氏を支え続けた。 家兼は若狭守護を務めるなど当初は北陸において活動し、越前守護の兄と協力して南朝の最有力武将であった新田義貞を滅ぼした。観応の擾乱の際には、直義方の高経とは同調せず尊氏方に味方し、引付頭人に任じられた。 文和3年/正平9年(1354年)に奥州管領に任命され、奥州に下向し中新田城を拠点とした。前探題の吉良貞家、二本松国詮、石塔義憲、さらに石橋棟義との争いを克服し、奥羽における斯波氏の優位を固め、管領職(後の奥州探題)の世襲を確立した。延文元年/正平11年(1356年)6月13日、奥州管領在任2年にして没した。享年49。 なお、家兼の奥州下向年は延元4年/暦応2年(1339年)とする説もあるが、信憑性は低い。後の大崎氏、最上氏、天童氏の祖であり、また、斯波家長の末裔とされる高水寺斯波氏も、家兼から分かれた一族とされることもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斯波家兼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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