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セマウル運動(セマウルうんどう)は、日本統治時代に朝鮮総督府が進めた農村振興運動をモデルにした〔崔吉城 「セマウル運動と農村振興運動」『国立歴史民族博物館研究報告』第70集 1997〕韓国の地域開発運動。 セマウルとは「新しい村」という意味(セマウルの韓国語表記「새마을」の「새」は「新しい」を意味し、「마을」は「村」や「村落」を意味する)。1970年4月22日朴正煕大統領が全国地方長官会議で提唱したのが始まり。同時期の北朝鮮における、国民運動である千里馬(チョルリマ)運動を意識した政策と考えられる。 ; セマウル運動の目標〔尹景徹 『分断後の韓国政治 一九四五~一九八六 』 木鐸社、1986年、328頁。 ISBN 978-4-8332-0227-5 直接の出典は「セマウル運動の理念と実際」『セマウル運動国際会議論文集』 ソウル大学セマウル運動綜合研究所刊、226頁〕 # 全ての住民を自発的にこの運動に参加させ、いわゆる精神革命を起こす。 # 社会開発を通じて住民がより暮らしやすい村で、福祉生活を楽しむ。 # 経済開発を通じて村の労働生産性を向上させ、個人所得を高める。 「勤勉」「自助」「協同」を基本精神とした。1971年から全国規模に拡大したこの運動は、農民の生活の革新、環境の改善、所得の増大を通じ、それまで経済開発から取り残されていた農村の近代化を、主として政府主導で実現した。 この運動にちなみ、朴大統領自身が「セマウル運動歌」を作詞・作曲したのに続き、快活な「セマウル歌謡」が次々と作られ、放送や拡声器を通じて終日流布された。また優等列車が「セマウル号」と命名されたほか、金融機関である「セマウル金庫」(、セマウルクムゴ)が設置された。大韓民国政府はセマウル運動を通じて国家社会発展に寄与した功績が明確な者に「セマウル勲章」を授与している。 なお、この運動の発祥地は慶尚北道の清道郡とされており〔慶尚北道、アフリカでセマウル運動 , 中央日報, 2008.11.06.〕、「セマウル運動発祥の地・清道」というキャッチフレーズとセマウルのイメージが入ったマークを特許庁に商標登録したと発表した〔セマウル運動が海外で脚光を浴びる理由(上) (中) (下) , 朝鮮日報, 2009/10/11.〕。一方、浦項市は同市北区杞溪面「文星洞」が公式的なセマウル運動の発祥地であるとしており〔セマウル運動の発祥地 , 浦項市.〕、発祥地をめぐって慶尚北道清道郡と浦項市は法廷でも争った〔。 == 源流 == セマウル運動の源流は、1930年代に朝鮮総督府の宇垣一成総督が進めた農村振興運動である〔崔吉城「朴正煕先生と朴槿惠大統領 」東洋経済日報 2013年2月8日〕。 宇垣総督の下では、李氏朝鮮時代の悪弊であった「高利債の整理」「収支の均衡」「食糧の充実」ということに重点がおかれた。「高利債の整理」では、金融組合だけでは対応できないので、預金部の低利資金を何百万円か毎年金融組合に、殖産銀行及び連合会を通じて借りる様にした。 トイレが無く、農村ではその辺りで用を足し、町中ではオンドルの中の壷に夜に小便して朝は窓からパッとそれを捨てる状態だった為、トイレ造りの費用を予算で補助し、甕を埋めて、大小便を肥料として使う事を指導したりした。 稲作では、朝鮮ではそのままばら撒いていただけの作付方法だった為、苗代を作って稲を植える方法を教えるなど、あらゆる面に於いて、手取り足取りの親身な指導によって、次第に全般に農業振興事業が行き渡る様にした。 朴正煕は、農村振興運動の人材育成のための指定校だった慶尚北道の聞慶国民学校で教師をしており、地域の農場でも指導していた。セマウル運動の標語は農業振興運動の標語と全く同じである〔【緯度経度】韓国セマウル運動の源流は「日本」 ソウル・黒田勝弘+(2/2ページ) MSN産経ニュース 2013年2月16日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セマウル運動」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 New Community Movement 」があります。 スポンサード リンク
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