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川原 泉(かわはら いずみ、1960年9月24日 - )は、日本の漫画家。鹿児島県指宿市出身、鹿児島市在住。鹿児島大学法文学部卒業。専攻は日本史。 == 来歴 == 大学4年在学中に、初めての漫画「ジュリエット白書」を『花とゆめ』に投稿。その後、大学の教授の紹介で地元女子校の教員採用の面接を受けたが、良妻賢母教育と勉学のどちらを優先するかという質問に「もちろん勉学」と答えた結果、不採用となる。この件が川原のお嬢様学校コンプレックスの元となったという。以降は目標を漫画に定め、1983年、『花とゆめ』増刊に掲載された「たじろぎの因数分解」でデビューした。以来、白泉社を中心に活動〔雑誌『エグゼクティブ』(ダイヤモンド社)2001年6月号 本棚探検隊が行く 128 川原泉の本棚(取材・文:甲斐武佳、撮影:津藤文生)参考。〕。 1985年、「ゲートボール殺人事件」の頃、東京へ引越しし、世田谷区に住む。 1986年、アイススケート漫画『銀のロマンティック…わはは』の取材のため札幌を訪れた際に、当時の担当編集者が同じだった縁で三原順と会い、交流は三原の病没まで続いた〔『はみだしっ子』第1巻 解説:川原泉 参考。〕。 1987年、初の長期連載となった『笑う大天使(わらうミカエル)』の仕事が一段落し、一旦帰郷した際に初めてファミリーコンピュータを購入し、『女神転生』などのゲームに熱中〔『笑う大天使』第1巻 11頁 1/4スペースによーこそ (2) 参考。〕。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の影響で『魔法の国ザンス』シリーズなどのファンタジーにも興味を持つに至る〔。 1988年、「笑う大天使 オペラ座の怪人」の原稿を落としてしまい、打ちひしがれた川原は都落ちを決意、荷物をまとめたが周囲の励ましにより帰郷を中止。せっかく荷造りをしたのだからと前の仕事場から徒歩5分の場所に移転する〔『笑う大天使』第2巻 77頁 1/4スペース白書・4 参考。〕。 1996年、鹿児島市に引越す〔。 2005年、『ブレーメンII』で第36回 星雲賞コミック部門と第4回(2004年度)センス・オブ・ジェンダー賞特別賞を受賞。 2006年夏、『笑う大天使』が映画化。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川原泉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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