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新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は、埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市)〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、20ページ〕出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 深谷商では夏、西関東大会県予選準々決勝に進出するが、川越工に敗退、甲子園には届かなかった。1966年のドラフトで大洋ホエールズに3位指名され入団した。俊足好打の内野手と期待されるが、大洋ではほとんど二軍暮らしで終わった。 に佐藤元彦との交換トレードで、ロッテオリオンズに移籍。には一軍に定着し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。同年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズも5試合に出場した。はジム・ラフィーバーやビル・マクナルティと一塁手の定位置を争い、86試合に出場(うち48試合に先発)し打率.258の好成績を記録する。その後も準レギュラーとして活躍、シーズン後半には二塁手に定着し打率.309を残す。限りで引退。 から二軍コーチを務め、は一軍コーチ、からまでは二軍守備走塁コーチ、からまでは一軍守備走塁コーチ、は一軍チーフ兼外野守備走塁コーチ、は三軍監督を務めた〔。 から上武大学野球部コーチに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新井昌則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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