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新井 淳(あらい じゅん、1890年1月10日 - 没年不詳〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.128。〕〔『CD 人物レファレンス事典 日本編』、日外アソシエーツ、2002年。〕)は、日本の俳優である。新派出身で、現代劇の映画に出演した。 == 人物・来歴 == 1890年(明治23年)1月10日、埼玉県児玉郡本庄町〔(現在の同県本庄市)に「新井淳一」として生まれる〔〔。 東京に出て、旧制・麻布中学校(現在の麻布高等学校)を卒業〔〔『講談倶楽部』昭和11年新年号付録、講談社、1936年、「新井淳」の項。〕後、呉服店に勤務、番頭を務める〔。俳優を志し、1910年(明治43年)、新派の俳優・藤沢浅二郎に入門する〔。藤沢が当時、映画出演していた吉沢商店が1912年(明治45年)に他の3社と合併して日本活動写真(現在の日活)となった。藤沢は日活向島撮影所に出演し、新井も1914年(大正3年)に入社、「日活新派」と呼ばれる現代劇に出演した〔〔。 1923年(大正12年)、藤野秀夫、衣笠貞之助、横山運平、藤川三之助、東猛夫、荒木忍、島田嘉七ら12名とともに日活向島を集団退社、国際活映(国活)に移籍した〔。坂田重則監督の『鷲津村の娘』、村田実監督の『父の罪』に出演したが、まもなく同社が経営不振のため製作を停止し、新井は松竹蒲田撮影所に移籍した〔。国活は1925年(大正14年)に解散した。 松竹蒲田では、島津保次郎、五所平之助らの作品に多く出演した〔〔。満47歳を迎えた1937年(昭和12年)、島津監督の『兄とその妹』に出演したのを最後に引退している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新井淳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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