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志免鉱業所(しめこうぎょうしょ)は、福岡県糟屋郡志免町にあった炭鉱である。糟屋炭田(かすやたんでん)の炭鉱の一つ。志免炭鉱とも呼ばれる。採掘開始から閉山にいたるまで終始国営であった日本国内唯一の炭鉱として知られる。1964年(昭和39年)閉山。志免鉱業所竪坑櫓、斜坑口などの遺構が現在も残されている。2009年(平成21)12月8日、竪坑櫓が国の重要文化財に指定された。 == 歴史 == === 海軍採炭所、新原採炭所 === 志免鉱業所の歴史は、1889年(明治22)、新原(しんばる、現・須恵町)に設立された新原採炭所に端を発する。新原採炭所は、当時の海軍艦艇の燃料であった石炭の確保を目的として、海軍自身によって開発された。 1898年(明治21)に新原の地が予備炭山に指定され、翌年には第一坑及び第二坑が同地に開坑している。第一坑、第二坑、第四坑が新原(現・須恵町)に設けられ、第三坑は桜原(現・宇美町)に設けられた。志免において採掘が始められたのは、1906年(明治39)、第五坑の採掘開始からである。その後も坑口の新設は続き、旅石(現・須恵町)の第六坑、志免町の第七坑、及び第八坑が設けられている。明治期の主力坑は主に新原に所在していたが、昭和初期までには第一坑から第三坑までの坑口 は既に採掘を終えて閉鎖され、採炭の中心地は志免地区の坑口に移行した。それに伴い事務所(庁舎)の位置も1929年(昭和4)に新原から志免へと移転している。このため、終戦後海軍から国鉄へと事業が移管された際に、正式名称についても志免鉱業所へと変更され、志免の名を冠するようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志免鉱業所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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